日本人にとってのドレミファソラシドが根付くまで②

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2022.08.10

日本人にとってのドレミファソラシドが根付くまで②

こんにちは!名古屋のウクレレ、ボーカル、ギター教室「ポワンポワンスタジオ」です。

今日のテーマは「日本人にとってのドレミファソラシドが根付くまで②」です。

前回は日本にドレミファソラシドが入ってきた明治時代に日本人がドレミファソラシドを認識することがどれだけ大変だったかを書いていきました。今回はその続きから。

では日本人はなぜ苦労して西洋の音階を理解する必要があったのでしょうか?

特にドレミファソラシドが理解できなくても生活は変わりませんし、日本や日本人にとってそれほど有益なこととも思えません。

しかし、実際は当時の日本政府にとって西洋音階を学ぶということはとても有益な事だったのです。海外の主賓を招いた晩さん会での音楽や軍隊の音楽など富国強兵を目指す日本政府にとって西洋の文化を学び取り入れることは富国強兵の一環だったのだと思います。

ただ、当然その当時西洋の音楽教育を受けている日本人はいません。そのため明治12年に文部省に音楽取調掛が設立されアメリカに留学経験がある伊沢修二がメーソンという日本政府が招聘した音楽教育者とともに西洋音楽の日本での普及を厳命されます。
外国の歌に日本語を乗せ唱歌などにしたりといろいろ工夫したようですが一番難しかったのは日本人に西洋音階を理解してもらうことでした。
特にドレミファソラシドの第4音と7音である「ファ」と「シ」はなかなか理解するのが難しかったそうでファとシを除いたヨナ抜き音階(ペンタトニックスケール)などを使った唱歌などが多く作られたそうです。

有名な所でいえば海(うみーはひろいーなおおきいな~)金太郎(マサカリ担いだ金太郎~~)などは知っている方もいるのではないでしょうか?(30歳以下だと知らないかもしれませんが)

続きは次回書いていきます。

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