今回は「ボサノヴァの歴史~まずはショーロから~」
今回から2回に分けてボサノヴァの歴史に向き合っていこうと思います。
僕はよくボサノヴァ(ボサノバ)は弾きますし、聴きます。
ボサノヴァって昨今は日本でもカフェで流れるイメージがあると思いますし、オシャレなイメージでだいぶ市民権を得て来た感じがします。よく知っている人は「ボサ」と言います。
でも意外にボサノヴァがジャズの一派みたいな扱いを受けることが良くあります。
まぁでもボサノヴァが市民権を得て来た理由のひとつにジャズとの親和性があるとは考えられるのでそれほど気にはしてませんが。。。
ボサノヴァがブラジル音楽だって知らない人も結構いるかもしれません。ボサノヴァはジャズと一緒に捉えている方もいるかもしれません。でもボサノヴァとジャズは全く別物です。ジャズはアメリカでうまれ、ボサノヴァはブラジルで生まれています。今日この2つを同じカテゴリーと考える人がいるのもその歴史を振り返ると理解できます。ボサノヴァはジャズの歴史と比べると歴史が浅く、突然生まれたくらいに完成された状態で生まれた稀有なジャンルです。
そんなこんなでボサノヴァを愛する1演奏家としてボサノヴァの話をしていこうと思います。
音楽の歴史を振り返ると必ず、そこには宗教やカルチャー、その国の歴史的変遷を見ることが出来ます。
いきなりボサノヴァの話をしていくとなかなか理解するのが大変かと思いますのでボサノヴァの祖先のひとつ、ショーロの歴史を今回は振り返ります。
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まずはブラジルの歴史を少し話さなければいけません。
音楽の歴史とその国の歴史はとても深いつながりがあります。
最初はポルトガルの植民地でした。
ブラジルにいる人たちは白人、黒人、メスティーソといわれる白人とインディオとの混血の人々などが主にいます。
日本からも1888年の奴隷解放に伴い、労働力確保のために移民が多数ブラジルに渡ります。
アメリカとブラジル、両方ともに植民地からのスタートだったのは一緒ですがその後大きく違う点がひとつあります。
ブラジルは19世紀初頭にナポレオン一味に追われ、ポルトガル王朝が1807年から15年間ブラジルに避難していたという点です。都会化が進むわけです。
そのおかげでブラジルでは19世紀に宮廷音楽などヨーロッパから持ち込まれたものとアフリカから持ち込まれたものの融合が上流階級にまで浸透し、都会的な音楽であるショーロが生まれます。
ショーロの父「ジョアキム・カラッド」は楽団指揮者の息子として生まれ、フルート奏者として「Choro Carioca」というバンドで活躍しました。
ショーロは、フルート、ギター、カヴァキーニョという編成で演奏されます。
カヴァキーニョはこんな楽器。
カヴァキーニョは4弦の楽器でウクレレと祖先が一緒と言われています。
ショーロはこんな音楽です。
ボサノヴァに近いのわかりますか?
ベースの動き方、ウタータ・ウタータというリズム、ボサの源流だったのがわかります。
ボサノヴァのミュージシャンはショーロもよく演奏します。
次回はそんなショーロからボサノヴァが生まれ、世界中の人々に認識されるようになった経緯を書いていきたいと思います。
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