その他の楽器

自信を持つには

jisinn

生徒さんの中にはある程度、楽器が上手く弾けるようになっても自信が持てない方も多数います。

今回は「自信をもつには」というテーマで書いていきたいと思います。

この「自信」ですが、使いようによって良い方向にも悪い方向にも作用する事があります。
「自信」が及ぼす作用としては
・人前に出ることに躊躇しなくなる。
・困難な道でも忍耐強く乗り越えられる
・迷いや恐れがなくなる

などとても良い作用があります。逆に悪い方向としては
・過信すると出来ることと出来ないことの区別がつかず、出来ていないのに先に進もうとしてします。
・反省しない
・周りの人に迷惑をかけることがある
・天狗になってしまい技術などがおろそかになる

などもあります。教室に通われる方で一番多いタイプは自信がない方が圧倒的に多いので、自信を持ってもらえるようにレッスンを行いますが、プロコース(ギター)などの方は逆に自信を持った方が圧倒的に多いので本来の自分を見てもらうことで不必要な自信(過信のことです)は取り払うことにしています。

結局「自信」の物差しがどこにあるかを知ると結構対処も楽なのですが、「自信」とは比較対象との比較を通して正しい自信の持ち方が得られると考えています。

僕の場合は過信が疑われる時は自分より上手い人の演奏を聞くことにしています。講師業をしていると生徒さんは持ち上げてくれるのでどうしても過信の方向に舵を切りがちです。そのため練習と戒めを定期的に行うことにしています。

ギターでもピアノでもウクレレでもどんな楽器でも習っていると挫折することはあります。最終的には自信を失ったときには「同じ人間だから練習すればなんとかなるだろう」といった精神で乗り越えることにしています。今までも「こんな曲弾けるの??」と思ったことは何度もありますが、やってみるとなんとかなるもんです。

薬指が中指につられる話

kusuriyubi

薬指が中指につられる話

楽器を弾く時に結構重要なものに薬指と中指、薬指と小指が一緒に動いてしまうというものがあります。

これは2つの理由があって、1つはお互いの腱が引っ張り合うからだと言われています。
もう一つは神経の結びつき、例えば小指を動かす時に使う神経細胞と薬指を動かす時に使う神経細胞が分かれてないというのも原因なようです。

一度試してみるといいですが、すべての指の先を机でもなんでも良いのでピアノを弾くようにたてて下さい。

次は他の指はつけたままで薬指だけを上にあげてみてください。TOPの画像のような感じです。

もし「あがった」という方がいたらそれはおそらくはやり方が間違っているか、特異な手の持ち主かどちらかでしょう。

普通は上がっても数ミリ、僕もだいぶ練習しましたが2センチがやっとな感じです。
この「つられる」という反応は楽器を弾くのにいろいろな悪影響を及ぼします。

例えばギターでコードチェンジをしようとして薬指を下げ、小指を上げる動作があったとします。この時薬指が強ければ上げようとした小指も薬指につられて下がろうとします。逆の場合もしかりです。要は思い通り動かなくては行けない指が動いてくれない原因になりうるのです。

ではどうしたら改善するのでしょうか?

答えとしては「反復練習」です。

「反復練習」・・・は万能ですね。人がする様々な動きの訓練の最たるものはこの「反復」です。
反復することで身体が動きに慣れるだけでなく神経の結びつきも強くなり、より思い通りの動きが出来るようになります。

~名古屋のギター教室「ポワンポワンスタジオ」~

和太鼓奏者

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和太鼓奏者

昨日長唄のワークショップに行ったという話をしました。

そこで紹介された和太鼓奏者の人から聞いた話を書きたいと思います。
今回長唄のワークショップに行ったきっかけは教室の税理士さんから誘われて一緒に行ったのですが
さすが税理士さん、和太鼓奏者の人に最初にした質問が・・・お金・・・の話(笑)

まぁそりゃ興味はあるかとは思いますが。

でもやっぱり音楽一本で食べていくのって大変なんですよね・・・和太鼓の世界はギター教室などと違ってそれほどメジャーではありません。和太鼓も大きいのは数百万~1000万くらいしますから。西洋の太鼓と違って和太鼓は木をくり抜いて作るので大太鼓だとそれなりに太い幹の木が必要ですがやはり減っているとのこと。

バブルの時期は名古屋でも結構演奏の需要があったようですがだんだんと音量の問題もあり、演奏できる場所にも制限が出てきているとのこと。昔はほとんどのホテルで演奏していたが現在は名古屋市内でも2ヶ所くらいのホテルしか演奏の仕事は無くなってきていて、一番多いのは小学校や中学校などでのワークショップだそうです。

僕が興味があったのが流派の問題と歴史の問題。伝統的な楽器には流派や歴史があります。

和太鼓も大きく分けると2つの流れがあるようで、昔からの伝統に根づいた和太鼓と、西洋音楽などいろいろな要素を取り込んだ和太鼓だそうで、バチの持ち方で違いが分かるようです。

セッションなどもたまにやっているようで一番多いのは津軽三味線、ギターと演奏することもあるみたいです。

僕もギタリストなので名刺交換をして、機会があれば何か一緒にやりましょう!!とお願いしておきました(笑)

楽器別人口比率の話

インストゥルメンタル

今回は楽器別人口比率の話

「バンドあるある」なんですが、バンドを組もうと思ってもドラムとベースはなかなか見つけられません。

それもそのはず、ギターやボーカル人口に比べてドラムやベースの人口は圧倒的に少ないのです。

これは僕の感覚ですが

バンドマンが100人いたとすると
40人ボーカル、40人ギタリスト、ドラムとベース、キーボードで20人くらいでしょうか。

比率でいうと
ボーカル:ギター:ベース:ドラム:キーボード=
5:5:1:1:0.5
くらいなように感じます。

もちろんこれはバンドマンでの比率であって実際に習っている人の比率だと
10:10:1:1:0.5
くらいでしょうか・・・・

これを別の角度からみると
ボーカルやギターはなかなかバンドを組めないが、ベースやドラムは少ないのでバンドを組もうと思えば選び放題・・・とも言えます。

実際ベースやドラムはバンドを掛け持ちしている人が多いです。

ただしギターは1バンドに2人いても成立するのでボーカルよりはあぶれることは少ないかも知れません。

だからといって特に何が言いたいわけでもありませんが、もしバンドをやりたいけどまだ何の楽器もやったことがない方はベースやドラムを始めるとバンドが出来る確率は高いと思います。

良く会社員の生徒さんと話していると「(異性との)出会いがない」という話を聞きますが、バンドの世界でも出会いを求めてさまよっているギタリストやボーカリストがいるという話でした。

ドラムの歴史

drum

今回はドラムについて。

ドラムというとたくさんのパーツが並んでいてそれぞれ鳴らすと低い音や高い音、金属的な音などがでるイメージがあります。ただ、よく考えてみると一つの疑問が出てきます。例えばあの足で踏むバスドラムと呼ばれる低音が出る楽器ですが、いつからあるんでしょうか?

クラシックなどのコンサートでバスドラムを見ることは普通はありません。ということは中世の時代にはなかったと思われます。ただ打楽器は昔からあったのでそれがいつあのような形式をとるようになったのでしょうか?

打楽器の役割として通常考えられるのは当然音楽の中での打楽器です。音楽以外はなさそうですが、音楽以外で楽器が使われる時があります。それは戦争のときです。昔から戦争時に見方を鼓舞するために音楽を利用したり、出撃の際にラッパと吹いたりすることはありました。アメリカでは南北戦争が1861年から1864年にかけてありました。南北戦争は黒人奴隷をめ巡る戦争でもありましてこの南と北の黒人に対する考え方の違いは南部のブルースが北部へ移動する黒人ミュージシャンによってシカゴブルースになるなど音楽の流れにも後に多大な影響を与えました。

南北戦争の時に使われた行進や号令の際に使われたスネアドラムやバスドラムが使われなくなりその結果一般のブラスバンドなどに渡ることになります。その当時ジャズの要素の一つとなったラグタイムという音楽は流行ってきて1人でいくつものドラムを演奏することが出てきました。逆に言えばそれまでは音楽は1人1楽器という流れだったのです。

ただこの頃でもまだバスドラムと言っても足ではなく手で叩いていました。スネアとバスドラムと言っても両方共に手で叩いていました。

19世紀の終わりについに足でバスドラムが叩かれる時がきます。大体新しい出来事はアクシデントから生まれることが多いのですがその時もまさにアクシデントでした。ニューオリンズの小太鼓奏者ディー・ディー・チャンドラー(Dee Dee Chandler)というスネアドラマーがバスドラムの奏者との関係がうまくいかず、1人で両方を演奏しなければいけないことに。そこでペダルでバスドラムを叩くことを考え出し、1人で両方を叩くことが出来るようになりました。

これでドラムの要、スネアとバスドラムは登場したわけですが、ハイハットがないですね。

ハイハットはハイ(高い)、ハット(帽子)が語源と言われていて、じつはその前はローソックシンバル、(ロー)低い(ソック)足、シンバルと呼ばれもともと足で合わせる楽器だったのが手でも叩けるように高い位置に据えられたのが現在に至ってます。1920年代に足でバスドラムを叩いていた余った足を何か活かせないかという観客の要望から発明されたようです。

その後、タムタムなどが加わり現在のドラムセットの内容になっているそうです。
タムタムはクラシックの演奏者は銅鑼のことを「タム・タム」と読んでいるため区別するために「トムトム」と呼ぶらしいです。

ちなみにシンバルなどはトルコ発祥なこともあり、シンバルに関してはトルコが源流のブランドが有名なようです。なのでシンバルメーカーの名前をみると「Zildjian(ジルジャン)」「SABIAN(セイビアン)」「ISTANBUL(イスタンブール)」などそっちっぽい名前が並んでいます。

調律の話④

今回は「調律の話④」

18世紀になると有名なバッハが出てきます。

バッハは平均律クラヴィーア曲集という曲集を書いてます。なので平均律がまるでこの時代からあってバッハが使ってたように感じるかもしれません。実際はこの時代には平均律自体はありましたが、バッハは使用はしてません。これは「良音律」を「平均律」と誤訳された結果だそうです。
本来は「良く調整されたクラビーアのための曲集」という解釈だそうです。

この時代は平均律は認知はされていたようですが、まだ積極的に使用されてはいませんでした。どちらかと言うと否定的な意見のほうが多かったようです。
バッハも平均律に

実際今まで純正律や中全音律を使ってた人たちが平均律を試すとおそらく濁って聞こえたのだと考えられます。特にオーケストラなどではかなり耳障りに感じただろうと推測されます。

平均律が広く使われるようになったのは18世紀の終わり頃です。そもそもそれまで平均律が使われなかったのは聴感的な問題ばかりではありません。たしかに音楽界からも非難の的になることは多かったのですが、実際1オクターブを12に平均的に分けることが難しかったのです。

当時は現代と違ってコンピュータもありません。例えばラの音は基準音ですのですべての調律において440HZですが、ミの音は純正律だと660HZというわかりやすい振動数ですが、平均律だと

659.2551138257

というちょっとコンピュターでもないと判断がつかなさそうな数値になってしまいます。
1秒間に「659.2551138257」の振動数を計るってことですからね・・・それは難しいですね。

実際にこういった研究に勤しんだのは音楽家ではなく数学者たちでした。シモン・ステヴィンという数学者が1600年頃に平均律を数値化することには成功してますがこれを調律に利用しようとする人はいませんでした。

この平均律による調律を可能にしたのはやはり科学の進歩でした。1500年ごろになるとレオナルド・ダ・ビンチなどがネジなどを使用して時代とともに精密な機械が作られるようになります。

1800年になるとヘンリー・モーズリーが精密な金属旋盤を制作できるようになりその結果ピアノを平均律で調律できるピンが完成したそうです。

1840年代になるとロンドンのジョン・ブロードウッド社がピアノを平均律で調律することになります。
音楽家ではドビュッシーのように平均律の調律を前提に曲が作られたのもとても大きな時代の流れとも言えますし、平均律のピアノが大量生産されるようになったりと時代が平均律を求めていたようにも感じます。

そもそも音楽理論もどんどん複雑になり、転調が当たり前になってくるに従って旧来の純正律や中全音律では適応できなくなったのです。
このようにして20世紀になると西洋音楽は平均律がポピュラーになり、その結果前衛音楽の台頭や無拍子の音楽、ジャズなど平均律と相性が良い音楽の出現などにも関係してきます。

しかし近年、逆に古典調律で演奏する演奏会なども増えてきているようです。確かにその当時の調律で聞いたほうが曲本来の響きを味わうという点では良いのかもしれませんね。

調律についてどうでしたか?知ってないことがたくさんあったのではないでしょうか?

調律の話③

今回は「調律の話③」

前回は8世紀頃までの調律の話を書きましたがその続きです。

9~10世紀くらいからポリフォニーのもととなるオルガヌムという二声による合唱法が登場する。第一声は決まっており譜面にも残っているようですが、第一声に合わせる第二声はその場で耳で合わせていたようです。

このオルガヌムが11世紀前後から二声ではなく三声、四声と重ねられるようになり、またそれまでは一音につきひとつの音を重ねていたのが細かな音や第一声の中でいくつか音が変わるなどメリスマ的オルガヌムの形式が見られるようになりました。また16世紀頃になるとさらに複雑化していき、多声や和声といった表現が似つかわしくなってきます。

よく音楽の3要素として
・リズム
・メロディー
・ハーモニー
と言われます。

このハーモニーという概念が出てきたのがこの頃かと思われます。

よく似たような言葉で「シンフォニー」という言葉がありますが、これは「平行オルガヌム」のこと。
第一声に対し平行に4度や5度でつけられるハーモニーのことです。シンフォニーは訳すと「ある響きを合成したもの」となります。

このように10世紀から16世紀にかけてどんどん多声化していくと現行のピタゴラス音律では対応できなくなってきます。
そこで出てくるのが純正律です。

純正律とはピタゴラス音律と違って基準の音からの他の音を導き出します。
例えば「ド」から周波数の比が9:8の音を「レ」、5:4の音を「ミ」 4:3の音を「ファ」 3:2の音を「ソ」 5:3の音を「ラ」 15:8の音を「シ」というようにです。

ピタゴラス音律は「ド」から3:2の音が「ソ」、「ソ」から3:2の音が「レ」と元の音がどんどん変わっていくため段々とズレが生じて和音にした時に響きが不快な時が多くでました。「響きが不快」というのは周波数の比が複雑な整数比になるということです。純正律を使うと周波数の比が単純な整数比になるためとても綺麗な響きになります。

そばにピアノなどの鍵盤楽器がある方は白鍵で適当な和音を弾いてみるとわかりますが、響きが揺れるのがわかるでしょうか?
これに対して純正律で調律したピアノは音が揺れずそのまま減衰していきます。基本的なキーボードはすべて平均律で調律されているのでこれらで純正律の和音を確認することはできません。ただし、ごく一部のキーボードには合唱などの指導用として純正律に近い和音を出せるものもあるそうです。

オルガヌムが多声化していくに従ってこの純正律や中全音律と呼ばれる純正律を改良した調律が使われるようになります。

純正律はバルトロメオ・ラモス・デ・パレーハが1482年に理論的にまとめましたが純正律は転調に対応できないのでいろんな作曲家がそれを転調に対応できるようにずらして調律しました。これが中全音律です。

実はこの時代にはピアノがまだ登場してませんのでピアノ調律師という職業がまだありませんでした。
他の楽器はと言うと基本的には自分で調律出来たようです。

例えばピアノの祖先のチェンバロは形はピアノに似てますが、中に張ってある弦は毎回調律をし直さなければいけませんでした。逆に言えば演奏者が調律できたのです。調律が厳密になってきたのはここ100年ほどの間のこと、それ以前は「ラ」の音がどれくらいの高さかということですら各国でばらつきがありましたのでバッハの時代はもっと大雑把だったのだと推測されます。

話を戻しますが、これ以後19世紀になって平均律が主流になるまではこの中全音律や純正律から派生する調律で西洋音楽は作られていたようです。

続きは調律の話④で。

調律の話②

今回は「調律の話②」

数学者と音楽はすぐには頭の中では結びつかないかもしれませんが、音=振動と考えると数学的なイメージを持ちやすいと思います。

以前どこかで書きましたが皆さんが聞いている音階は実は振動数により音程が決まります。例えば1秒間に440回振動することでラの音がでたり、1秒間に660回振動することでミの音が出たりします。

逸話によるとある日鍛冶屋の前をピタゴラスが通った時に鍵屋の打つハンマーの音が心地の良い協和音を出していることに気づきます。そこで興味を持ったピタゴラスがそのハンマーを調べると5本あったハンマーのうち4本の重量が12:9:8:6という数比の関係にあることに気づいたそうで、弦楽器や笛などでも実験してみると弦の長さの比率が振動数と比例し、その結果振動=音程なので弦の長さを調整することで音程を調整できることを発見します。

この理論により導き出された調律法は「ピタゴラス音律」と呼ばれ現在の調律法の礎となりました。

【ピタゴラス音律】
ピタゴラス音律を説明すると周波数比を3:2にすると完全5度という音程が生まれます。例えば先程660回の振動がミで440回の振動がラだと言いましたが660:440=3:2となります。

これで「ラ・シ・ド・レ・ミ」とラを1度とするとミが5度になるいう関係が生まれます。

ここからは普通に説明すると複雑な話になるので簡潔に説明しますが、
次にミから完全5度上を作ると「シ」が出来ます。同じように「シ」からは「ファ#」が「ファ#」からは「ド#」というように「ド#」→「ソ#」→「レ#」→「ラ#」→「ファ」→「ド」→「ソ」→「レ」→「ラ」というよに一巡します。

「ラ」→「ミ」→「シ」→「ファ#」→「ド#」→「ソ#」→「レ#」→「ラ#」→「ファ」→「ド」→「ソ」→「レ」→「ラ」

という具合です。これをまとめると
「ド ド# レ レ# ミ ファ ファ# ソ ソ# ラ ラ# シ ド」
という12に音程を分けることができます。

※尚これらの音階は現在の音程とは異なります。現在の平均律の音階とは音の高さが違います。

ピタゴラス音階がその後実際に使われたかというとそれほど厳密ではなかったのだと思います。

11世紀ごろになるまでは音を重ねても2音でハーモニーを奏でる程度だったようです。
現在の音楽を語る上で欠かせないのが「キリスト教の登場」です。

紀元前6~4年頃キリストが誕生し、その後ヨーロッパ中に広がります。

キリスト教といえば聖歌や賛美歌を思い浮かべる方も多いかと思いますが、最初のうちは単一の旋律(モノフォニー)で歌うことがほとんどだったと考えられますがそのうち段々それが4度や5度でハーモニーを奏でるようになりました。

実はこのハーモニーを奏でるという事はキリスト教音楽だけに見られるのではなく、日本の雅楽やガムランなど西洋音楽の影響を受けてないと思われる音楽にもあるため調和のとれた音を認識する感覚というのはどの民族にもあるのだと思います。

8世紀前後から教会音楽は形式がだんだんと確率されていきます。
それまではビザンツ聖歌や古ローマ聖歌、ガリア聖歌といったようにその地方の言葉で聖歌を歌っていたようですがフランク王国のカール大帝が800年に西ローマ帝国の皇帝になってからこれらを統一する方針を打ち出しました。

続きは調律の話③で。

調律の話①

今回は【調律の話】

楽器を演奏している方で楽器に調律が必要な方は大勢います。
ギターやベース、ウクレレ、バイオリン、ピアノ、フルートなどなど・・・・

ギターなど自分で調律(チューニング)できる楽器は良いのですが、ピアノとなるとそうはいきません。ポワンポワンスタジオでも日進校はピアノコースがありますのでピアノが3台、ほぼ毎日稼働しています。定期的に調律はしてもらうんですが、調律師さんと話しているとその奥深さがわかります。

ピアノは鍵盤楽器ではありますが構造からすると弦楽器とも言えます。中に200本以上の弦が張られており、チューニングピンをまわして音を調整します。ギターは6本、ウクレレは4本ですから200本チューニングってすごいですよね。

一つの鍵盤に2~3本の弦が張られているので3本で音程をわずかにずらしたりすると音が厚くなったりといろいろな工夫があるようです。電子チューナーで合わせることも出来るらしいのですが良い調律師さんだとアーティストの望んでいる音にチューニング出来たり、その日の温度や湿度、音の響き方などで微妙に出る音を調整するらしいです。

昔、「もののけ姫」が映画化された際に久石譲さんがインタビューでピアノの調律について、「腐る一歩手前の調律」と希望されたような話を読んだ記憶があります。

現在の調律法は十二平均律というすべての音階を平均化した調律法が取られていますがドビュッシーが登場した前後までは別の調律法でした。※ドビュッシーははじめて平均律を使用した作曲家と言われています。

調律の話をするにはまず調律の歴史の話をしなければいけません。
逆に調律の歴史を知れば調律についてかなり理解できるようになると言っても過言ではないでしょう。

私たちは現在当たり前のように音楽を聞いてますが、ドレミファソラシドは人類が生まれたときから存在していたわけではありません。そもそも大正より前には日本にはドレミファソラシドの概念はなかったのです。僕らが大昔のものと認識している童謡や民謡などもほとんどはそれ以降に出来たものです。

逆にドレミファソラシドが日本に入ってくる前の音楽を聞く機会はほとんどありません。みなさんのスマホにも当然入ってないでしょう。せいぜい、祭りのお囃子やTVでごくたまに聞かれる雅楽程度かと思います。

例えば正月なると様々な場所で聴かれる「春の海」という箏と尺八の曲があります。
この曲なんかはもしかすると何百年も前の曲と思っている人もいるかもしれませんが昭和4年の曲です。

この世界にドレミファソラシドがいつうまれたかという議論はなかなかいろいろな見方ができるので難しいのですが1オクターブを12に分けられたのは紀元前6世紀頃と言われています。

ではそれまではどうしていたかというとみなさんがお風呂で鼻歌を歌うように単音で適当な音程で歌が歌われ口伝により伝わっていたのだと思います。一応3400年ほど前の石版から楽譜的なものは見つかっていますし紀元前2000年ほど前にも演奏方法を記したものが見つかっています。ただしその頃のものは全音階で出来ていたそうです。

音程を12にわけることを発見したのはピタゴラスだと言われています。
ピタゴラスは言わずと知れた三平方の定理を発見した数学者です。
※実は発見していないという説が有力ですが・・・・

続きは次回調律の話②で。

ボサノヴァの歴史~まずはショーロから~

ショーロ

今回は「ボサノヴァの歴史~まずはショーロから~」

今回から2回に分けてボサノヴァの歴史に向き合っていこうと思います。

僕はよくボサノヴァ(ボサノバ)は弾きますし、聴きます。

ボサノヴァって昨今は日本でもカフェで流れるイメージがあると思いますし、オシャレなイメージでだいぶ市民権を得て来た感じがします。よく知っている人は「ボサ」と言います。

でも意外にボサノヴァがジャズの一派みたいな扱いを受けることが良くあります。

まぁでもボサノヴァが市民権を得て来た理由のひとつにジャズとの親和性があるとは考えられるのでそれほど気にはしてませんが。。。

ボサノヴァがブラジル音楽だって知らない人も結構いるかもしれません。ボサノヴァはジャズと一緒に捉えている方もいるかもしれません。でもボサノヴァとジャズは全く別物です。ジャズはアメリカでうまれ、ボサノヴァはブラジルで生まれています。今日この2つを同じカテゴリーと考える人がいるのもその歴史を振り返ると理解できます。ボサノヴァはジャズの歴史と比べると歴史が浅く、突然生まれたくらいに完成された状態で生まれた稀有なジャンルです。

そんなこんなでボサノヴァを愛する1演奏家としてボサノヴァの話をしていこうと思います。

音楽の歴史を振り返ると必ず、そこには宗教やカルチャー、その国の歴史的変遷を見ることが出来ます。

いきなりボサノヴァの話をしていくとなかなか理解するのが大変かと思いますのでボサノヴァの祖先のひとつ、ショーロの歴史を今回は振り返ります。
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まずはブラジルの歴史を少し話さなければいけません。

音楽の歴史とその国の歴史はとても深いつながりがあります。

最初はポルトガルの植民地でした。

ブラジルにいる人たちは白人、黒人、メスティーソといわれる白人とインディオとの混血の人々などが主にいます。

日本からも1888年の奴隷解放に伴い、労働力確保のために移民が多数ブラジルに渡ります。

アメリカとブラジル、両方ともに植民地からのスタートだったのは一緒ですがその後大きく違う点がひとつあります。

ブラジルは19世紀初頭にナポレオン一味に追われ、ポルトガル王朝が1807年から15年間ブラジルに避難していたという点です。都会化が進むわけです。

そのおかげでブラジルでは19世紀に宮廷音楽などヨーロッパから持ち込まれたものとアフリカから持ち込まれたものの融合が上流階級にまで浸透し、都会的な音楽であるショーロが生まれます。

ショーロの父「ジョアキム・カラッド」は楽団指揮者の息子として生まれ、フルート奏者として「Choro Carioca」というバンドで活躍しました。

ショーロは、フルート、ギター、カヴァキーニョという編成で演奏されます。

カヴァキーニョはこんな楽器。

カヴァキーニョは4弦の楽器でウクレレと祖先が一緒と言われています。

ショーロはこんな音楽です。

ボサノヴァに近いのわかりますか?

ベースの動き方、ウタータ・ウタータというリズム、ボサの源流だったのがわかります。

ボサノヴァのミュージシャンはショーロもよく演奏します。

次回はそんなショーロからボサノヴァが生まれ、世界中の人々に認識されるようになった経緯を書いていきたいと思います。