理論・仕組み

調律の話④

今回は「調律の話④」

18世紀になると有名なバッハが出てきます。

バッハは平均律クラヴィーア曲集という曲集を書いてます。なので平均律がまるでこの時代からあってバッハが使ってたように感じるかもしれません。実際はこの時代には平均律自体はありましたが、バッハは使用はしてません。これは「良音律」を「平均律」と誤訳された結果だそうです。
本来は「良く調整されたクラビーアのための曲集」という解釈だそうです。

この時代は平均律は認知はされていたようですが、まだ積極的に使用されてはいませんでした。どちらかと言うと否定的な意見のほうが多かったようです。
バッハも平均律に

実際今まで純正律や中全音律を使ってた人たちが平均律を試すとおそらく濁って聞こえたのだと考えられます。特にオーケストラなどではかなり耳障りに感じただろうと推測されます。

平均律が広く使われるようになったのは18世紀の終わり頃です。そもそもそれまで平均律が使われなかったのは聴感的な問題ばかりではありません。たしかに音楽界からも非難の的になることは多かったのですが、実際1オクターブを12に平均的に分けることが難しかったのです。

当時は現代と違ってコンピュータもありません。例えばラの音は基準音ですのですべての調律において440HZですが、ミの音は純正律だと660HZというわかりやすい振動数ですが、平均律だと

659.2551138257

というちょっとコンピュターでもないと判断がつかなさそうな数値になってしまいます。
1秒間に「659.2551138257」の振動数を計るってことですからね・・・それは難しいですね。

実際にこういった研究に勤しんだのは音楽家ではなく数学者たちでした。シモン・ステヴィンという数学者が1600年頃に平均律を数値化することには成功してますがこれを調律に利用しようとする人はいませんでした。

この平均律による調律を可能にしたのはやはり科学の進歩でした。1500年ごろになるとレオナルド・ダ・ビンチなどがネジなどを使用して時代とともに精密な機械が作られるようになります。

1800年になるとヘンリー・モーズリーが精密な金属旋盤を制作できるようになりその結果ピアノを平均律で調律できるピンが完成したそうです。

1840年代になるとロンドンのジョン・ブロードウッド社がピアノを平均律で調律することになります。
音楽家ではドビュッシーのように平均律の調律を前提に曲が作られたのもとても大きな時代の流れとも言えますし、平均律のピアノが大量生産されるようになったりと時代が平均律を求めていたようにも感じます。

そもそも音楽理論もどんどん複雑になり、転調が当たり前になってくるに従って旧来の純正律や中全音律では適応できなくなったのです。
このようにして20世紀になると西洋音楽は平均律がポピュラーになり、その結果前衛音楽の台頭や無拍子の音楽、ジャズなど平均律と相性が良い音楽の出現などにも関係してきます。

しかし近年、逆に古典調律で演奏する演奏会なども増えてきているようです。確かにその当時の調律で聞いたほうが曲本来の響きを味わうという点では良いのかもしれませんね。

調律についてどうでしたか?知ってないことがたくさんあったのではないでしょうか?

調律の話③

今回は「調律の話③」

前回は8世紀頃までの調律の話を書きましたがその続きです。

9~10世紀くらいからポリフォニーのもととなるオルガヌムという二声による合唱法が登場する。第一声は決まっており譜面にも残っているようですが、第一声に合わせる第二声はその場で耳で合わせていたようです。

このオルガヌムが11世紀前後から二声ではなく三声、四声と重ねられるようになり、またそれまでは一音につきひとつの音を重ねていたのが細かな音や第一声の中でいくつか音が変わるなどメリスマ的オルガヌムの形式が見られるようになりました。また16世紀頃になるとさらに複雑化していき、多声や和声といった表現が似つかわしくなってきます。

よく音楽の3要素として
・リズム
・メロディー
・ハーモニー
と言われます。

このハーモニーという概念が出てきたのがこの頃かと思われます。

よく似たような言葉で「シンフォニー」という言葉がありますが、これは「平行オルガヌム」のこと。
第一声に対し平行に4度や5度でつけられるハーモニーのことです。シンフォニーは訳すと「ある響きを合成したもの」となります。

このように10世紀から16世紀にかけてどんどん多声化していくと現行のピタゴラス音律では対応できなくなってきます。
そこで出てくるのが純正律です。

純正律とはピタゴラス音律と違って基準の音からの他の音を導き出します。
例えば「ド」から周波数の比が9:8の音を「レ」、5:4の音を「ミ」 4:3の音を「ファ」 3:2の音を「ソ」 5:3の音を「ラ」 15:8の音を「シ」というようにです。

ピタゴラス音律は「ド」から3:2の音が「ソ」、「ソ」から3:2の音が「レ」と元の音がどんどん変わっていくため段々とズレが生じて和音にした時に響きが不快な時が多くでました。「響きが不快」というのは周波数の比が複雑な整数比になるということです。純正律を使うと周波数の比が単純な整数比になるためとても綺麗な響きになります。

そばにピアノなどの鍵盤楽器がある方は白鍵で適当な和音を弾いてみるとわかりますが、響きが揺れるのがわかるでしょうか?
これに対して純正律で調律したピアノは音が揺れずそのまま減衰していきます。基本的なキーボードはすべて平均律で調律されているのでこれらで純正律の和音を確認することはできません。ただし、ごく一部のキーボードには合唱などの指導用として純正律に近い和音を出せるものもあるそうです。

オルガヌムが多声化していくに従ってこの純正律や中全音律と呼ばれる純正律を改良した調律が使われるようになります。

純正律はバルトロメオ・ラモス・デ・パレーハが1482年に理論的にまとめましたが純正律は転調に対応できないのでいろんな作曲家がそれを転調に対応できるようにずらして調律しました。これが中全音律です。

実はこの時代にはピアノがまだ登場してませんのでピアノ調律師という職業がまだありませんでした。
他の楽器はと言うと基本的には自分で調律出来たようです。

例えばピアノの祖先のチェンバロは形はピアノに似てますが、中に張ってある弦は毎回調律をし直さなければいけませんでした。逆に言えば演奏者が調律できたのです。調律が厳密になってきたのはここ100年ほどの間のこと、それ以前は「ラ」の音がどれくらいの高さかということですら各国でばらつきがありましたのでバッハの時代はもっと大雑把だったのだと推測されます。

話を戻しますが、これ以後19世紀になって平均律が主流になるまではこの中全音律や純正律から派生する調律で西洋音楽は作られていたようです。

続きは調律の話④で。

調律の話②

今回は「調律の話②」

数学者と音楽はすぐには頭の中では結びつかないかもしれませんが、音=振動と考えると数学的なイメージを持ちやすいと思います。

以前どこかで書きましたが皆さんが聞いている音階は実は振動数により音程が決まります。例えば1秒間に440回振動することでラの音がでたり、1秒間に660回振動することでミの音が出たりします。

逸話によるとある日鍛冶屋の前をピタゴラスが通った時に鍵屋の打つハンマーの音が心地の良い協和音を出していることに気づきます。そこで興味を持ったピタゴラスがそのハンマーを調べると5本あったハンマーのうち4本の重量が12:9:8:6という数比の関係にあることに気づいたそうで、弦楽器や笛などでも実験してみると弦の長さの比率が振動数と比例し、その結果振動=音程なので弦の長さを調整することで音程を調整できることを発見します。

この理論により導き出された調律法は「ピタゴラス音律」と呼ばれ現在の調律法の礎となりました。

【ピタゴラス音律】
ピタゴラス音律を説明すると周波数比を3:2にすると完全5度という音程が生まれます。例えば先程660回の振動がミで440回の振動がラだと言いましたが660:440=3:2となります。

これで「ラ・シ・ド・レ・ミ」とラを1度とするとミが5度になるいう関係が生まれます。

ここからは普通に説明すると複雑な話になるので簡潔に説明しますが、
次にミから完全5度上を作ると「シ」が出来ます。同じように「シ」からは「ファ#」が「ファ#」からは「ド#」というように「ド#」→「ソ#」→「レ#」→「ラ#」→「ファ」→「ド」→「ソ」→「レ」→「ラ」というよに一巡します。

「ラ」→「ミ」→「シ」→「ファ#」→「ド#」→「ソ#」→「レ#」→「ラ#」→「ファ」→「ド」→「ソ」→「レ」→「ラ」

という具合です。これをまとめると
「ド ド# レ レ# ミ ファ ファ# ソ ソ# ラ ラ# シ ド」
という12に音程を分けることができます。

※尚これらの音階は現在の音程とは異なります。現在の平均律の音階とは音の高さが違います。

ピタゴラス音階がその後実際に使われたかというとそれほど厳密ではなかったのだと思います。

11世紀ごろになるまでは音を重ねても2音でハーモニーを奏でる程度だったようです。
現在の音楽を語る上で欠かせないのが「キリスト教の登場」です。

紀元前6~4年頃キリストが誕生し、その後ヨーロッパ中に広がります。

キリスト教といえば聖歌や賛美歌を思い浮かべる方も多いかと思いますが、最初のうちは単一の旋律(モノフォニー)で歌うことがほとんどだったと考えられますがそのうち段々それが4度や5度でハーモニーを奏でるようになりました。

実はこのハーモニーを奏でるという事はキリスト教音楽だけに見られるのではなく、日本の雅楽やガムランなど西洋音楽の影響を受けてないと思われる音楽にもあるため調和のとれた音を認識する感覚というのはどの民族にもあるのだと思います。

8世紀前後から教会音楽は形式がだんだんと確率されていきます。
それまではビザンツ聖歌や古ローマ聖歌、ガリア聖歌といったようにその地方の言葉で聖歌を歌っていたようですがフランク王国のカール大帝が800年に西ローマ帝国の皇帝になってからこれらを統一する方針を打ち出しました。

続きは調律の話③で。

調律の話①

今回は【調律の話】

楽器を演奏している方で楽器に調律が必要な方は大勢います。
ギターやベース、ウクレレ、バイオリン、ピアノ、フルートなどなど・・・・

ギターなど自分で調律(チューニング)できる楽器は良いのですが、ピアノとなるとそうはいきません。ポワンポワンスタジオでも日進校はピアノコースがありますのでピアノが3台、ほぼ毎日稼働しています。定期的に調律はしてもらうんですが、調律師さんと話しているとその奥深さがわかります。

ピアノは鍵盤楽器ではありますが構造からすると弦楽器とも言えます。中に200本以上の弦が張られており、チューニングピンをまわして音を調整します。ギターは6本、ウクレレは4本ですから200本チューニングってすごいですよね。

一つの鍵盤に2~3本の弦が張られているので3本で音程をわずかにずらしたりすると音が厚くなったりといろいろな工夫があるようです。電子チューナーで合わせることも出来るらしいのですが良い調律師さんだとアーティストの望んでいる音にチューニング出来たり、その日の温度や湿度、音の響き方などで微妙に出る音を調整するらしいです。

昔、「もののけ姫」が映画化された際に久石譲さんがインタビューでピアノの調律について、「腐る一歩手前の調律」と希望されたような話を読んだ記憶があります。

現在の調律法は十二平均律というすべての音階を平均化した調律法が取られていますがドビュッシーが登場した前後までは別の調律法でした。※ドビュッシーははじめて平均律を使用した作曲家と言われています。

調律の話をするにはまず調律の歴史の話をしなければいけません。
逆に調律の歴史を知れば調律についてかなり理解できるようになると言っても過言ではないでしょう。

私たちは現在当たり前のように音楽を聞いてますが、ドレミファソラシドは人類が生まれたときから存在していたわけではありません。そもそも大正より前には日本にはドレミファソラシドの概念はなかったのです。僕らが大昔のものと認識している童謡や民謡などもほとんどはそれ以降に出来たものです。

逆にドレミファソラシドが日本に入ってくる前の音楽を聞く機会はほとんどありません。みなさんのスマホにも当然入ってないでしょう。せいぜい、祭りのお囃子やTVでごくたまに聞かれる雅楽程度かと思います。

例えば正月なると様々な場所で聴かれる「春の海」という箏と尺八の曲があります。
この曲なんかはもしかすると何百年も前の曲と思っている人もいるかもしれませんが昭和4年の曲です。

この世界にドレミファソラシドがいつうまれたかという議論はなかなかいろいろな見方ができるので難しいのですが1オクターブを12に分けられたのは紀元前6世紀頃と言われています。

ではそれまではどうしていたかというとみなさんがお風呂で鼻歌を歌うように単音で適当な音程で歌が歌われ口伝により伝わっていたのだと思います。一応3400年ほど前の石版から楽譜的なものは見つかっていますし紀元前2000年ほど前にも演奏方法を記したものが見つかっています。ただしその頃のものは全音階で出来ていたそうです。

音程を12にわけることを発見したのはピタゴラスだと言われています。
ピタゴラスは言わずと知れた三平方の定理を発見した数学者です。
※実は発見していないという説が有力ですが・・・・

続きは次回調律の話②で。

カバーのすゝめ②

カバー

今回は「カバーのすゝめ②」

前回はカバーとは何か、コピーとどう違うのかなど書いていきました。今回はその続きです。

実際にカバーをするにあたってそのような手法、流れでカバー化を進めていけば良いのかを書いていきます。

アイキャッチ画像がふざけててすみません・・・・笑
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【選曲】

まずは「選曲」です。
ここで半分以上の労力を消費しても良いと言えると思います。

選曲する際に注意をするのは「好きな曲だから」という安易な判断で選曲してはいけないということです。
もちろん好きな曲であることは大切なことです。でも「好きな曲」は「あこがれ」と一緒です。

「好きな曲」=「自分にあった曲」というわけではありません。

選曲をする際に考えるべきは
①どうしてそれを歌おうと思うのか
②誰に聞いてもらうのか
③どうやって演奏するのか

です。
カバーとは「表現」と言ってもいいと思います。
他人の曲を使っての自己表現です。
①ではそれを選ぶ理由を考えてみます。
大事なのは理由の中身ではなく、自分がなぜその曲を選曲するに至ったのかを知ることがカバーに取り組むにあたって大事だからです。
②を考えることで自己満足ではなく、客観的に選曲を推敲することができます。
意外に人前で演奏するシュミレーションをしてみると、選んだ曲がそれほど魅力的に思えなくなるケースもあると思います。
③は現実できな問題です。
例えばその曲が難解で自分の技術力では消化出来ないのだとすれば表現以前の問題です。
また、その曲の音域が自分に合っていなければそれも断念せざる得ません。

例えばマライヤ・キャリーの曲を選んで①と②を満たしていても、実際に歌えなければ選曲には入れられません。また歌はOKでも伴奏が難しければそれも断念する理由になります。

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【表現】

選曲が決まると次にすべきなのは選んだ曲を理解することです。
歌詞もきちんと丁寧に見ていきます。

ただ歌詞に関しては見る人によって解釈が変わる場合もあります。その場合は自分の解釈でOKです。
他人の曲を使った自己表現なのですから大いに考えると良いと思います。

ただし歪曲しないようにだけ注意しましょう。大事なのは作曲者に対するリスペクトです。
それがなければ作曲者を悲しませる内容になる可能性がとても高いので気をつけて下さい。

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【アレンジ】

次に具体的にどう表現をしていくかという部分に切り込みます。

一番わかり易いのはコードアレンジ、リズムアレンジ、構成のアレンジでしょうか。

例えば

元の曲は暗いけど、自分はもう少し前向きにしたいから、明るく表現したい。
コードもマイナーコードを少し減らしてメジャーコードの割合を高くする。
リズムもバラードだけどもう少しアップテンポにする。

といった自分の解釈に基づき、元の曲を改良していきます。

やりすぎると原曲の良さをなくしてしまうことがありますし、変化がないと原曲に負けてしまいます。
別に勝ち負けではありませんが100人聞いて100人が原曲が良いと言うカバーを作っても存在意義がないのでカバーをするのであれば、ある程度の変化は必要かと思います。

特にコードアレンジは作曲者の意図などを考えつつ変えるのか残すのかの選択をしていかなくてはいけないので慎重かつ大胆に取り組んで下さい。

リズムアレンジは「速い」「遅い」だけでなく、「ノリ(グルーヴ)」や「抑揚」、「ジャンル」も関係してきます。

構成などもその曲の象徴的なイントロがあるのであればそれは残すべきです。ただ、転調などに関しては一考の価値ありです。無理に転調する必要はありませんが、転調しないと成立しないのであれば転調させるしかありません。

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以上のような流れで曲のカバー化を進めていくと良いかと思います。
形式ばって書いたのでこの流れを読むだけだと非常に窮屈なイメージを受けるかもしれません。

基本としては先程から書いているように
「他人の曲をじぶんらしく演奏する」という部分に本質がありますので肩の力を抜いて取り組んでもらうと良いと思います。

カバーのすゝめ①

カバー曲

先日生徒さんが秦基博の「RAIN」という曲を練習していると言う話を聞いて曲を聞いてみました。とてもいい曲だったので誰が作ってるんだろう?と思ったら大江千里なんですね・・・

大江千里といえばもう20年ほど前に活躍してた超ポップなアーティストで、その後ジャズを勉強しにアメリカへ言ったような話は耳にしてましたが正直あまり好きなアーティストではありませんでした。今考えると曲ではなく歌い方が好みと合わなかったのでしょう。

調べてみると1998年の楽曲とのこと、逆にこれだけの年月たっても色あせない曲を書いていたという事実に驚きました。

ここ十年ほどでカバーをするアーティストが良く見受けられるようになっています。この「RAIN」も「言の葉の庭」というアニメのエンディングで使用されています。

今回はカバーに関して書いていきます。できれば誰でも挑戦できるので是非カバーをしてもらえたらと思います。
特に人前で披露するときには良いカバーができると喜んでもらえるかと思います。

カバーをする時に一番気をつけるのは「コピーにならない」ことです。

例えばカラオケで歌うのはカバーというには少し無理があります。
仮に安室奈美恵や宇多田ヒカルがカラオケで他の人の曲を歌ってもカバーとは言えません。

モノマネはもちろんコピーですが、歌だけ差し替えてもオリジナリティがあるとはいえません。

では伴奏を差し替えれば全部カバーと言えるかというとそういうわけでもないんです。

まずはカバーの定義ということを考えてみましょう。

Wikipediaによると
「ポピュラー音楽の分野で、他人が発表した曲を演奏・歌唱して発表すること」

と書かれています。

こう書くと
「A」というアーティストの曲を別の人が歌えば全部「カバー」だということになります。確かに広義としてはそれでも良いのかもしれません。ただ一般論として定義づけるならば
「ポピュラー音楽の分野で、他人が発表した曲を”自分らしく”演奏・歌唱して発表すること」
だと言えるでしょう。

要はモノマネではないということです。
例えば安室奈美恵が好きなアーティストが安室奈美恵になりきって演奏・歌唱しているのであればそれはカバーではなくコピーとなります。例えば弾き語りでミスチルの曲を路上で弾いている人がいるとします。

その人が自分のアレンジとして表現できているのであればカバーと言えると思いますが、目の前の譜面台にミスチルの譜面を置いてコードを見ながら歌っているのであればそれはコピーの色合いが果てしなく濃くなると言えるでしょう。

個人的な意見としてはカバーをするからには本人とは別の角度からの表現を期待してしまいます。
「本人の歌は好きじゃないけど別の人がカバーしたバージョンは好きだ」
というケースは大成功なケースです。

今回の秦基博の「RAIN」なんかは特にそうで、僕が身をもって体感しています。
どうしても料理と同じく、歌の好みは歌手で決まる部分もあります。
せっかく曲が良いのにその曲の良さがある一定の層に上手く伝わっておらず、別の歌手が歌うことでその部分を「カバー」できるのでれば作曲者としても喜ぶべきだとも思います。
※個人的には「曲はいいけど歌がなぁ・・」と言われている側面もあるのであまり喜べませんが・・・・

では次にカバーをするときにはどういう手法でカバーを進めていけばいいでしょうか?

続きは次回「カバーのすゝめ②」で書いていきたいと思います。

音痴(先天的音楽機能不全)矯正について。

音痴矯正

音痴矯正について。

今回は教室で行っている音痴矯正について書いていきたいと思います。

音痴矯正=ボイトレと思っている方が多いのではないでしょうか?

 

難しくは「先天的音楽機能不全」と言うそうです。

もちろんちょっとした音感の強化やリズム感の強化、発声に関してはもちろんボイトレになるかと思いますし、音痴を気にされている方の多くはそういった方ですのでボーカルの先生に見てもらえればよいかと思います。

ただ、中にはボイトレだけでは改善しない、もしくは改善の速度が遅い方もいます。

もし自分か身の回りの方が音痴ではないかと心配されている方は以下の①~③の項目を御覧ください。

①アカペラ(歌のみ)で歌うと歌詞がなければ(周りの人は)何の曲か誰もわからなくなる。
②(カラオケで歌うと)本人はあっているつもりでも周りの人からするとほとんどあっていない
③歌が苦手で自分で歌っていてもあってるのか間違っているのかもわからない

これらに一つでも当てはまる場合は一度相談されたほうが良いかもしれません。

世の中には完璧に音程やリズムとれる人は殆どいません。完璧ではなくても聞いている人がわからないだけです。
それと一緒で逆に絶対的に音感やリズム感がない人もまたほとんどいません。

あくまで客観的に上手い下手が決められるだけで、プロのボーカリストからすると一般の人のほとんどが(自分より)歌が下手に感じられるかもしれませんし、逆に歌に自信がない人からするとほとんどの人が(自分より)上手く感じられるでしょう。

なのでどうやっても歌えるようになれない・・・ということはありません。練習によって少しづつですが改善していきます。

ただ、理解して頂きたいのが、音痴矯正は音感やリズム感を伸ばす訓練が必要ですので、数日や数週間では目に見えた改善は難しいです。最低3ヶ月~半年はたたないと実感出来ないかもしれません。今までレッスンした方も裏声が出せない方や歌える音程が1オクターブに満たない方、メトロノームに合わせて手拍子が出来ない方、ピアノでだした1音が出せない方など様々な悩みで来校されます。

レッスンの内容としてはまずどこに原因があるのかを探ります。当教室は当然ですが病院ではありません。ただ音痴の原因になっているのが何なのかを探る必要があります。音痴と一言で言っても原因は様々です。音が取れないのか、音は取れているが音をだす際に違ってしまっているのか、そもそも音の高低を声帯が再現できないのか?

こうやって見てみるとやってることは病院の検査に近いのかもしれません。

その後平均よりも目に見えて出来ない箇所を訓練していくことになります。最初はお互いに手探りで進むので講師と生徒のコミュニケーションがかなり大事になってきます。信頼していないとなかなか継続していくのが難しいのです。

僕の生徒さんで10年くらいでバンドを組めるようにまでなった生徒さんもいます。10代半ばから習い始めました。今も若干外すことはありますがどうすれば修正できるかはわかってきましたが、それでも10年かかりました。今では音楽が生活の一部になっていますが、レッスンを受けていなければおそらく苦手意識をもったまま生活をしていたでしょう。

10代~30代くらいはカラオケや合唱などいろいろと歌いたくなくても歌わなくてはいけない状況に追い込まれることが多々あります。歌が苦手なままだとそのうちにカラオケに誘われるのが嫌になり社交性をなくしていってしまう人さえいます。

根気はいりますが少しづつは改善していきますのでお悩みの方は是非相談頂くと良いと思います。

分析(アナライズ)のすすめ

作曲家

今回は「分析のすすめ」です。

この分析って作業ですが、「アナライズ」と言います。ただの英訳ですけど・・・

分析を何のためにするかというと興味がある曲などを分析することで演奏者や作曲者の意図を知ることにあります。

またそれにより人の技術を盗むこともできます。
ここ数年盗作や著作権などがいろいろ話題になります。歌詞やメロディーは盗んでは行けませんが、技術は堂々と盗めます。

坂本龍一も小室哲哉も、もっと言えばドビッシーやベートーヴェンですら先人の歩いてきた道を辿って作曲を身に着けたのは間違いないのです。

著名な作曲家の演奏を分析することでその演奏家の偉大さもわかりますし、自分になにがかけているかの勉強にもなります。

たとえば演奏技術の分析であればその演奏者の指運び緩急のつけかたシュチュエーションに応じた演奏方法を自分の演奏と比較することで何が足りないのかなどがわかります。

もちろんすべてを分析することは不可能ですし、分析しても再現ができないことも多々あるでしょう。ただ、それはそれで自分に足りないものとして将来的にできるように練習をすると良いと思います。

後は分析をする癖をつけることも大切です。

癖がつくと、音楽を何気なく聞いているときに「あれ??」と感じます。

大抵違和感を感じるときは自分の頭にない演奏だったり、曲調だったりすることが多いです。

それが魅力的に感じた場合は曲を調べるか簡易的に録音するなどして家まで覚えていて家で分析作業を進めます。

そうやって自分の引き出しを増やしていくのです。

最近はインターネット時代ですのでYOUTUBEなどで著名なアーティストの演奏も簡単に聴くことができます。そこで好きなミュージシャンのことを分析したりするのも楽しいでしょう。

そしてコード理論などを勉強したり、各楽器がどのように絡み合っているかを確認したりすると自分の好みや他の作曲家がどうやって曲を組み立てているか、自分のパートがコードによってどんなアレンジをしているかを分析することで新しい表現方法を知ることが出来るでしょう。

分析するものとしては

・コード進行

・コード進行における各楽器のアプローチ

・メロディーの付け方、

・全体の構成

・イントロ、間奏、エンディングをどのようにつけているか

・歌詞との比較

などです。

特に自分が好きな曲であれば「なぜ自分がその曲を好きになるのか」という観点から考えてみると自分の好みのパターンが分かっていいかもしれません。自分な好きな曲をいろいろ分析すると共通項が見えてきます。例えば、コード展開を見ると同じコード進行の曲が好きだったり、歌手の歌い方が好きだったり、激しい曲が好きだったり、ギターの音色が好きだったりすることに気づくかもしれません。

共通項が分かれば今度は共通項から別の自分が好きな曲を探すことが出来るかもしれません。

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ここでワンポイントアドバイス!!

あまり技術や音楽知識に自信のない方には自分より少しだけ上手い人の分析をお勧めします。

何をもって「上手い」と考えるかも難しいですが、「少しだけ上手い」と感じたら分析してみると良いと思います。

あまりにも技術差がありすぎると分析どころではなくなってしまいます。

少しだけ上手い素人の人の演奏は分析しやすく、再現もしやすいので実践的な練習になります。

いかがでしたでしょうか?

一度自分の好きなミュージシャン、もしくはライバル視している友人でも構いません。分析をしてはいかがでしょうか?

リズムの無意識化

リズム

今回はレッスン形式でいきます。

今回のテーマは「リズムの無意識化」です。


みなさん例えばメトロノームに合わせてリズムを手で取るときにどうやって手を叩いてますか?

普通に考えればメトロノームを聴いて手を意識して合わせるということになると思います。

では次にメトロノームに合わせてリズムを手で取ったとしてその時に歌を歌うとしたらどうでしょう?

メトロノームを聴いて手を意識して歌を歌えますか?

ではさらにメトロノームに合わせてリズムを手で取り、その時に歌を歌ったとして、足でもリズムをとるとしたらどうでしょう?

メトロノームを聴いて手を意識して歌を歌い、また意識して足踏みできますか?

普通に考えるとすごく難しそうです。でも良く考えてみてください。



ドラムを叩きながら歌ってる人ってたまにいますよね?

この人は両手と足を使いながら歌っています。イヤフォンでメトロノーム(クリック)を聴いている人もいます。

ということは、出来る人はいるということです。

ではどうしたら出来るでしょうか?


まずは基本にかえります。

私たちは普段同時にいくつものことを処理していないでしょうか?

例えば駅のホームで階段を下りながら携帯をいじりっている学生を見ることがあります。

この学生は

・今どこを歩いているかを認識している

・階段の段差、階段の終わりを考えている

・周りの人とぶつからないかを認識している

・携帯の内容を把握している

少なくともこの4つを同時進行していると思われます。

もちろん中にはぶつかる人もいるかも知れません、しかし意外にそれほど多くありません。

ではどうやった仕事を分業しているのでしょうか?

おそらく僕の感覚では

・今どこを歩いているかを認識している→無意識

・階段の段差、階段の終わりを考えている→ほとんど無意識

・周りの人とぶつからないかを認識している→無意識

・携帯の内容を把握している→意識

かと思います。


人は同時にいくつもの作業をするときに、その作業に優先順位が生まれ、その優先順位によって「意識」と「無意識」を使い分けているのだと思われます。

とすると先程の質問「メトロノームを聴いて手を意識して歌を歌い、また意識して足踏みできますか?」

・メトロノームを聴く

・手を叩く

・歌う

・足踏みをする

を優先順位をつけその優先順位によって「意識」と「無意識」を使い分けると良いのです。

では無意識に出来そうなものをあげると

・メトロノームを聴く

は大丈夫そうですね。

でも残りの3つはどうでしょう?

リズムの内容によりますよね・・・・無意識でできるのでしょうか?

大丈夫です。例えば例をあげましょう。


・××・××・×

×・×・×・×・

歌:かえるの歌

テンポ:BPM=120


だったとします。

さて練習なして同時進行でやってみてください。

せーの!!

・・・・・・おそらくですが、できませんね?(出来る人はすばらしい!!)

これはまず手→(余裕ができたら)→足を加える→(余裕ができたら)→歌を加える(余裕ができたら)→メトロノームに合わせる

のように順番は自由ですが1つづつこなさないといけません。

ゆっくりやれば必ずできます。ただし早くできるようになろうとしないことが大切です。

もしできたら先程のことを振り返ってみてください。

どこが「意識」でどこが「無意識」でしたか?

おそらく意識しているのは歌くらいではないでしょうか?


できないときは頭を使っていないか注意してください。頭を使うとできません。体で覚えるのです。

ずっと同じリズムを繰り返すことで体がリズムを覚え無意識でリズムが叩けるようになりますよ。

ミュージシャン=アーティスト?

ミキサー

ミュージシャン=アーティスト?

以前、アイドルとバンド、クラブDJの音楽性の違いについて書きましたが、今回は「ミュージシャンとは?アーティストとは?」を書いていきたいと思います。

おそらく一般的にはミュージシャンとアーティストを比較しない方の方が多いと思います。

ちなみに日本語に直すと多少ニュアンスが違って感じます。
ミュージシャン=音楽家、特に演奏家
アーティスト=芸術家

芸術家というのは画家でも書道家でも写真家でもとにかく芸術活動に打ち込んでいる方全員ということがわかります。

こう書くと音楽家は全員芸術家ということになりますが、音楽を聞く上でそのくくりで考えてしまうと様々な弊害がおきます。

ここで問題はミュージシャンの説明が「音楽家、特に演奏家」というところにあります。
(※「音楽家、特に演奏家」という説明はネット上の情報を元にしたものです。)

音楽家と演奏家は2分されます。作曲家は音楽家ではありますが演奏家とか言いません。もちろん作曲出来るということはそれなりに演奏できると言うことですが、作曲家を自称している人が自身を「演奏家です」と自己紹介することはあまりありません。
作曲家は基本的には表現者と考えて差し障りないと思います。では演奏者=表現者かというと絶対ではなくなります。

演奏者=表現者という図式が基本なのは間違いないのですが、演奏者の中には演奏>表現と、本来なら演奏<表現であるべきはずが、優先順位が逆になってしまうことがあります。

演奏者の感覚として「表現として良い方を優先する」という気持ちは当然あるのですが、演奏者の演奏の賛否を最初に決めるのは視聴者ではなく、プロデューサーか他のメンバーか本人です。
演奏者がレコーディングで録ったテイクのうち片方が「荒いが勢いがある演奏」、もう一方が「まとまっているが勢いがない演奏」だった時に演奏者としては前者が良いと思っても他者が後者を選択することも多々あります。現在はハードディスクレコーディングでいくつかテイクを録音してあとから差し替えなども楽にできますので後でテイクが差し替えられたり、なくなったりすることもあります。

またそもそも演奏者の考える良い演奏とプロデューサーが考える良い演奏のイメージが違うことすらありますので仕方がない部分もあります。ただ本当のプロフェッショナルの人たちはプロデューサーが考える良い演奏を再現出来るのだと思います。またバンドだとメンバー間で良いテイクの選択が違うこともよくあります。

ここで最初の「ミュージシャン=アーティスト」なのかというテーマにもう一度戻ります。アーティスト=ミュージシャンではないことは先程書きました。

「ミュージシャン=アーティスト」なのか=「演奏<表現」or「演奏>表現」なのかという事になります。
「演奏>表現」だとすると表現よりも演奏を重視するのでミュージシャン≠アーティストということになります。
「演奏<表現」の場合にのみ「ミュージシャン=アーティスト」といえると思います。

 

「演奏<表現」が非常に強いアーティストだと平気で自分の楽器を持ち替えてしまいます。逆に言えば音楽でなくても一番表現性が高い表現方法を選択するとも言えるでしょう。

例えばボーカリストが絵を書いたり、絵かきが小説を書いたりするのはよく見ます。またマルチなスキルを持っているアーティストも見かけます。
演奏より表現が優先しすぎることで演奏が蛋白になってありがちな曲になることもありますし、演奏が優先しすぎて自己満足的な装飾が多く、難易度が高い曲になることもあります。

楽器の練習をとても真面目にしている人たちからみると表現に重きを置きすぎて演奏がおろそかになっている人たちは不真面目に映るのかもしれませんし、表現に重きをおいている人たちから見る楽器の技術や演奏スピードの速さなどに重きをおいている人たちは大道芸に見えるのかもしれません。

結局のところバランスがミュージシャンの立ち位置を決めるという点は間違いがないと思います。

こういう視点で見てみるとアートの立ち位置って抽象的で難しいですね。