音痴(先天的音楽機能不全)矯正について。

音痴矯正

音痴矯正について。

今回は教室で行っている音痴矯正について書いていきたいと思います。

音痴矯正=ボイトレと思っている方が多いのではないでしょうか?

 

難しくは「先天的音楽機能不全」と言うそうです。

もちろんちょっとした音感の強化やリズム感の強化、発声に関してはもちろんボイトレになるかと思いますし、音痴を気にされている方の多くはそういった方ですのでボーカルの先生に見てもらえればよいかと思います。

ただ、中にはボイトレだけでは改善しない、もしくは改善の速度が遅い方もいます。

もし自分か身の回りの方が音痴ではないかと心配されている方は以下の①~③の項目を御覧ください。

①アカペラ(歌のみ)で歌うと歌詞がなければ(周りの人は)何の曲か誰もわからなくなる。
②(カラオケで歌うと)本人はあっているつもりでも周りの人からするとほとんどあっていない
③歌が苦手で自分で歌っていてもあってるのか間違っているのかもわからない

これらに一つでも当てはまる場合は一度相談されたほうが良いかもしれません。

世の中には完璧に音程やリズムとれる人は殆どいません。完璧ではなくても聞いている人がわからないだけです。
それと一緒で逆に絶対的に音感やリズム感がない人もまたほとんどいません。

あくまで客観的に上手い下手が決められるだけで、プロのボーカリストからすると一般の人のほとんどが(自分より)歌が下手に感じられるかもしれませんし、逆に歌に自信がない人からするとほとんどの人が(自分より)上手く感じられるでしょう。

なのでどうやっても歌えるようになれない・・・ということはありません。練習によって少しづつですが改善していきます。

ただ、理解して頂きたいのが、音痴矯正は音感やリズム感を伸ばす訓練が必要ですので、数日や数週間では目に見えた改善は難しいです。最低3ヶ月~半年はたたないと実感出来ないかもしれません。今までレッスンした方も裏声が出せない方や歌える音程が1オクターブに満たない方、メトロノームに合わせて手拍子が出来ない方、ピアノでだした1音が出せない方など様々な悩みで来校されます。

レッスンの内容としてはまずどこに原因があるのかを探ります。当教室は当然ですが病院ではありません。ただ音痴の原因になっているのが何なのかを探る必要があります。音痴と一言で言っても原因は様々です。音が取れないのか、音は取れているが音をだす際に違ってしまっているのか、そもそも音の高低を声帯が再現できないのか?

こうやって見てみるとやってることは病院の検査に近いのかもしれません。

その後平均よりも目に見えて出来ない箇所を訓練していくことになります。最初はお互いに手探りで進むので講師と生徒のコミュニケーションがかなり大事になってきます。信頼していないとなかなか継続していくのが難しいのです。

僕の生徒さんで10年くらいでバンドを組めるようにまでなった生徒さんもいます。10代半ばから習い始めました。今も若干外すことはありますがどうすれば修正できるかはわかってきましたが、それでも10年かかりました。今では音楽が生活の一部になっていますが、レッスンを受けていなければおそらく苦手意識をもったまま生活をしていたでしょう。

10代~30代くらいはカラオケや合唱などいろいろと歌いたくなくても歌わなくてはいけない状況に追い込まれることが多々あります。歌が苦手なままだとそのうちにカラオケに誘われるのが嫌になり社交性をなくしていってしまう人さえいます。

根気はいりますが少しづつは改善していきますのでお悩みの方は是非相談頂くと良いと思います。

分析(アナライズ)のすすめ

作曲家

今回は「分析のすすめ」です。

この分析って作業ですが、「アナライズ」と言います。ただの英訳ですけど・・・

分析を何のためにするかというと興味がある曲などを分析することで演奏者や作曲者の意図を知ることにあります。

またそれにより人の技術を盗むこともできます。
ここ数年盗作や著作権などがいろいろ話題になります。歌詞やメロディーは盗んでは行けませんが、技術は堂々と盗めます。

坂本龍一も小室哲哉も、もっと言えばドビッシーやベートーヴェンですら先人の歩いてきた道を辿って作曲を身に着けたのは間違いないのです。

著名な作曲家の演奏を分析することでその演奏家の偉大さもわかりますし、自分になにがかけているかの勉強にもなります。

たとえば演奏技術の分析であればその演奏者の指運び緩急のつけかたシュチュエーションに応じた演奏方法を自分の演奏と比較することで何が足りないのかなどがわかります。

もちろんすべてを分析することは不可能ですし、分析しても再現ができないことも多々あるでしょう。ただ、それはそれで自分に足りないものとして将来的にできるように練習をすると良いと思います。

後は分析をする癖をつけることも大切です。

癖がつくと、音楽を何気なく聞いているときに「あれ??」と感じます。

大抵違和感を感じるときは自分の頭にない演奏だったり、曲調だったりすることが多いです。

それが魅力的に感じた場合は曲を調べるか簡易的に録音するなどして家まで覚えていて家で分析作業を進めます。

そうやって自分の引き出しを増やしていくのです。

最近はインターネット時代ですのでYOUTUBEなどで著名なアーティストの演奏も簡単に聴くことができます。そこで好きなミュージシャンのことを分析したりするのも楽しいでしょう。

そしてコード理論などを勉強したり、各楽器がどのように絡み合っているかを確認したりすると自分の好みや他の作曲家がどうやって曲を組み立てているか、自分のパートがコードによってどんなアレンジをしているかを分析することで新しい表現方法を知ることが出来るでしょう。

分析するものとしては

・コード進行

・コード進行における各楽器のアプローチ

・メロディーの付け方、

・全体の構成

・イントロ、間奏、エンディングをどのようにつけているか

・歌詞との比較

などです。

特に自分が好きな曲であれば「なぜ自分がその曲を好きになるのか」という観点から考えてみると自分の好みのパターンが分かっていいかもしれません。自分な好きな曲をいろいろ分析すると共通項が見えてきます。例えば、コード展開を見ると同じコード進行の曲が好きだったり、歌手の歌い方が好きだったり、激しい曲が好きだったり、ギターの音色が好きだったりすることに気づくかもしれません。

共通項が分かれば今度は共通項から別の自分が好きな曲を探すことが出来るかもしれません。

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ここでワンポイントアドバイス!!

あまり技術や音楽知識に自信のない方には自分より少しだけ上手い人の分析をお勧めします。

何をもって「上手い」と考えるかも難しいですが、「少しだけ上手い」と感じたら分析してみると良いと思います。

あまりにも技術差がありすぎると分析どころではなくなってしまいます。

少しだけ上手い素人の人の演奏は分析しやすく、再現もしやすいので実践的な練習になります。

いかがでしたでしょうか?

一度自分の好きなミュージシャン、もしくはライバル視している友人でも構いません。分析をしてはいかがでしょうか?

リズムの無意識化

リズム

今回はレッスン形式でいきます。

今回のテーマは「リズムの無意識化」です。


みなさん例えばメトロノームに合わせてリズムを手で取るときにどうやって手を叩いてますか?

普通に考えればメトロノームを聴いて手を意識して合わせるということになると思います。

では次にメトロノームに合わせてリズムを手で取ったとしてその時に歌を歌うとしたらどうでしょう?

メトロノームを聴いて手を意識して歌を歌えますか?

ではさらにメトロノームに合わせてリズムを手で取り、その時に歌を歌ったとして、足でもリズムをとるとしたらどうでしょう?

メトロノームを聴いて手を意識して歌を歌い、また意識して足踏みできますか?

普通に考えるとすごく難しそうです。でも良く考えてみてください。



ドラムを叩きながら歌ってる人ってたまにいますよね?

この人は両手と足を使いながら歌っています。イヤフォンでメトロノーム(クリック)を聴いている人もいます。

ということは、出来る人はいるということです。

ではどうしたら出来るでしょうか?


まずは基本にかえります。

私たちは普段同時にいくつものことを処理していないでしょうか?

例えば駅のホームで階段を下りながら携帯をいじりっている学生を見ることがあります。

この学生は

・今どこを歩いているかを認識している

・階段の段差、階段の終わりを考えている

・周りの人とぶつからないかを認識している

・携帯の内容を把握している

少なくともこの4つを同時進行していると思われます。

もちろん中にはぶつかる人もいるかも知れません、しかし意外にそれほど多くありません。

ではどうやった仕事を分業しているのでしょうか?

おそらく僕の感覚では

・今どこを歩いているかを認識している→無意識

・階段の段差、階段の終わりを考えている→ほとんど無意識

・周りの人とぶつからないかを認識している→無意識

・携帯の内容を把握している→意識

かと思います。


人は同時にいくつもの作業をするときに、その作業に優先順位が生まれ、その優先順位によって「意識」と「無意識」を使い分けているのだと思われます。

とすると先程の質問「メトロノームを聴いて手を意識して歌を歌い、また意識して足踏みできますか?」

・メトロノームを聴く

・手を叩く

・歌う

・足踏みをする

を優先順位をつけその優先順位によって「意識」と「無意識」を使い分けると良いのです。

では無意識に出来そうなものをあげると

・メトロノームを聴く

は大丈夫そうですね。

でも残りの3つはどうでしょう?

リズムの内容によりますよね・・・・無意識でできるのでしょうか?

大丈夫です。例えば例をあげましょう。


・××・××・×

×・×・×・×・

歌:かえるの歌

テンポ:BPM=120


だったとします。

さて練習なして同時進行でやってみてください。

せーの!!

・・・・・・おそらくですが、できませんね?(出来る人はすばらしい!!)

これはまず手→(余裕ができたら)→足を加える→(余裕ができたら)→歌を加える(余裕ができたら)→メトロノームに合わせる

のように順番は自由ですが1つづつこなさないといけません。

ゆっくりやれば必ずできます。ただし早くできるようになろうとしないことが大切です。

もしできたら先程のことを振り返ってみてください。

どこが「意識」でどこが「無意識」でしたか?

おそらく意識しているのは歌くらいではないでしょうか?


できないときは頭を使っていないか注意してください。頭を使うとできません。体で覚えるのです。

ずっと同じリズムを繰り返すことで体がリズムを覚え無意識でリズムが叩けるようになりますよ。

1万時間の法則

練習時間

今回は「1万時間の法則

よく聞かれる「1万時間の法則」って知っていますか?

マルコム・グラッドウェル氏が提唱した「あるスキルに熟達するには1万時間の練習が必要である」という言葉。

例えば毎日3時間練習したとすると、プロレベルになるのにかかるのは約10年ってところです。

賛否両論ありますが、今回はこれを賛美するわけでも否定するわけでもなく、「練習量」と「技術」という点で捉えてみたいと思います。


当たり前ですがなににおいてもプロのレベルになるのはそれ相当の練習量がいるのは当然です。

自分は何時間か考えてみましたが、2~3万時間は確実に弾いてると思います。

ただ正直、きっちり計ってないので良くわからない感覚はあります。

しかし、1万時間を越えただろう時期を考えるとその法則は当てはまっているような気もします。

ただある機関の研究によればチェスのグランドマスターの練習時間の平均は平均は約1万530時間とおおよそ法則どおりだったが、その内容は832時間から2万4284時間まで幅があったそうです。

音楽家は1万~3万時間とこれも差が大きいです。


まぁ当たり前ですが練習量だけではなく、効率の良い練習や集中している練習の方が何倍も効果的ですので人によって差が出てくるのだと思います。

では人はそれなりのスキルを習得するために1日何時間練習をすればいいのでしょうか?

正直これに関しては僕にも答えはわかりません。プロ志向の人なら大体3時間は弾くとは思いますが。。。。

ただこれだけはいえます。

・練習の意味を体で理解している人はそれなりのスキルをもてる。

ということです。

逆を言えば

・練習の意味を理解していない人の練習は練習の意味を理解している人の練習とくらべて数倍もの効率的な違いが出るとも言えます。

自分がしている練習が将来どこの部分でどんなスキルを持つことにどうやって結びつくのかを考えるということです。

これは意外にみなさんできていません。でもスキルが高い人はみなさんできています。

高いスキルを持っている人と話していて感じるのは感覚が違うということ。またスキルを持っている人が言う言葉はしばしばスキルを持っていない人を驚かせます。

ギターでも「指版が光って見えるギターとか言いますね。

まぁ弾くべき場所が明確に感覚でわかっているものの例えなんですけどね。。。ピカピカとは光りません 笑。

他にもありますよ。

「はじめて聴く曲の続きがある程度具体性を持って予見できる」

「街中で曲を聴くとコードのアレンジが何パターンもその曲の上にかぶさって聞こえる」

とか。

志が高い人は常に音楽の言葉ばかり考えているので発想の次元も違うというわけです。

まぁ本当に弾ける人は何時間弾かなきゃとかって考えません。好きこそものの上手なれ、放って置いても1万時間にはなります。それが結論ですかねぇ・・

ボサノヴァの歴史(2回目)

男と女

今回は前回に続き「ボサノヴァの歴史」の第2回目

前回はボサノヴァの源流、ショーロを取り上げました。

今回はボサノヴァを取り上げます。

ボサノヴァ=BOSSA NOVA 

BOSSAとは「隆起、こぶ」

NOVAは「新しい」

ということで新興、新しい流れといった意味があります。

ボサノヴァが生まれたのは1950年代。1958年にアントニオ・カルロス・ジョビンによる「想いあふれて」のシングルレコードがボサノヴァの始まりという人が多い。

こちらが「想いあふれて」

ボサノヴァの誕生に関わった功労者の一人、ジョアンジルベルトは何日もバスルームに閉じこもってギターを鳴らし、それまでにないスタイルのギター奏法を発見したといわれます。

こちらがジョアンジルベルト

ボサノヴァがその後ポピュラーになったのにはいくつかの要因があります。

ブラジル・フランスの合作の「黒いオルフェ」という名の映画の中で多くのボサノヴァが使われました。

こちらはその黒いオルフェのシーンと主題歌の「黒いオルフェ」

後半2分前後からギターの弾き語りが聞こえますが、これはボサノヴァではないですね・・・・

1962年には、カーネギー・ホールでボサノヴァのコンサートが行われます。このときにはジョアン・ジルベルト、やセルジオ・メンデスなどが出演したようです。

そしてボサノヴァとジャズが出会ったのが1963年。ジョアン・ジルベルトとアメリカのジャズ・サックス奏者スタン・ゲッツがボサノヴァ・アルバム『ゲッツ/ジルベルト』で競演、アメリカで大ヒットします。そしてこの中でジョアンの(当時の)妻のアストラッド・ジルベルトが歌った「イパネマの娘」が驚異的な売り上げを記録し、ボサノヴァの知名度をさらに引き上げます。

このころからボサノヴァがジャズのミュージシャンに盛んに取り上げられるようになり、今のようなジャズとボサノヴァの関係になっていきます。

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面白いウンチクとしては「ビートルズがボサ・ノヴァを殺した」という言葉があります。

ボサ・ノヴァがアメリカで流行り始めたのが1962年、ビートルズの登場が1964年である。もしビートルズが出てこなかったらボサノヴァが世界中のポピュラー音楽の中心になっていたのではという推測からそんな言葉もうまれました。

 

またボサノバにおしゃれなイメージがあるのはおそらくボサノバにフランスの香りを感じるためかもしれません。元々ボサノバが世界で注目を浴び始めたのは1966年にフランス映画のクロード・ルルーシュ監督の作品「男と女」が上映されたからだと思います。

この「男と女」という曲は映画の主役を務めたピエール・バルーが歌い、ボサノバギターの神様「バーデン・パウエル」、作詞はこちらもボサノバの歌詞を数多く書いているヴィニシウス・モラレスが手がけています。曲調はボサノバとは少し違いますが、フランスとボサノバは親和性が高いように感じます。

日本でも20年ほど前からフレンチ・ポップスが入ってきてリズムやコード進行がボサノバに近く、おしゃれなイメージが定着しました。カヒミ・カリィが歌う曲はフレンチ・ポップスですが、ささやくような歌い方もボサノバと共通している面だと思います。

ボサノヴァの歴史~まずはショーロから~

ショーロ

今回は「ボサノヴァの歴史~まずはショーロから~」

今回から2回に分けてボサノヴァの歴史に向き合っていこうと思います。

僕はよくボサノヴァ(ボサノバ)は弾きますし、聴きます。

ボサノヴァって昨今は日本でもカフェで流れるイメージがあると思いますし、オシャレなイメージでだいぶ市民権を得て来た感じがします。よく知っている人は「ボサ」と言います。

でも意外にボサノヴァがジャズの一派みたいな扱いを受けることが良くあります。

まぁでもボサノヴァが市民権を得て来た理由のひとつにジャズとの親和性があるとは考えられるのでそれほど気にはしてませんが。。。

ボサノヴァがブラジル音楽だって知らない人も結構いるかもしれません。ボサノヴァはジャズと一緒に捉えている方もいるかもしれません。でもボサノヴァとジャズは全く別物です。ジャズはアメリカでうまれ、ボサノヴァはブラジルで生まれています。今日この2つを同じカテゴリーと考える人がいるのもその歴史を振り返ると理解できます。ボサノヴァはジャズの歴史と比べると歴史が浅く、突然生まれたくらいに完成された状態で生まれた稀有なジャンルです。

そんなこんなでボサノヴァを愛する1演奏家としてボサノヴァの話をしていこうと思います。

音楽の歴史を振り返ると必ず、そこには宗教やカルチャー、その国の歴史的変遷を見ることが出来ます。

いきなりボサノヴァの話をしていくとなかなか理解するのが大変かと思いますのでボサノヴァの祖先のひとつ、ショーロの歴史を今回は振り返ります。
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まずはブラジルの歴史を少し話さなければいけません。

音楽の歴史とその国の歴史はとても深いつながりがあります。

最初はポルトガルの植民地でした。

ブラジルにいる人たちは白人、黒人、メスティーソといわれる白人とインディオとの混血の人々などが主にいます。

日本からも1888年の奴隷解放に伴い、労働力確保のために移民が多数ブラジルに渡ります。

アメリカとブラジル、両方ともに植民地からのスタートだったのは一緒ですがその後大きく違う点がひとつあります。

ブラジルは19世紀初頭にナポレオン一味に追われ、ポルトガル王朝が1807年から15年間ブラジルに避難していたという点です。都会化が進むわけです。

そのおかげでブラジルでは19世紀に宮廷音楽などヨーロッパから持ち込まれたものとアフリカから持ち込まれたものの融合が上流階級にまで浸透し、都会的な音楽であるショーロが生まれます。

ショーロの父「ジョアキム・カラッド」は楽団指揮者の息子として生まれ、フルート奏者として「Choro Carioca」というバンドで活躍しました。

ショーロは、フルート、ギター、カヴァキーニョという編成で演奏されます。

カヴァキーニョはこんな楽器。

カヴァキーニョは4弦の楽器でウクレレと祖先が一緒と言われています。

ショーロはこんな音楽です。

ボサノヴァに近いのわかりますか?

ベースの動き方、ウタータ・ウタータというリズム、ボサの源流だったのがわかります。

ボサノヴァのミュージシャンはショーロもよく演奏します。

次回はそんなショーロからボサノヴァが生まれ、世界中の人々に認識されるようになった経緯を書いていきたいと思います。

徒然日記「時代の流れをふと考える」

ヤングギター

何気なくネットを見ていたらヤングギターの11月号のテーマが「ギターと人体」とのこと。

僕が速弾きにあこがれていた頃はヤングギターもたまに買ってたと記憶していますが、最近は雑誌自体をほとんど買わなくなりました。本屋で中身を確認する程度くらいです。

あのヤングギターがまさかこんな真面目なネタに手を付ける日が来るとは思ってませんでした。
そもそもロッカーはあまり身体に気を使わない・・・というのが昔の風潮でしたので。

ジミヘンが若くして亡くなったりした影響でロッカーは「太く短くというのがカッコイイ」という印象を持ってしまったのだと思います。あとは年を取るということに関して数十年前まではとてもネガティブな印象を持っていました。

それから数十年たってミュージシャンもだいぶ身体に気を使うようになってきた気がします。

以前はタバコを吸う人が多数を占め、海外をみてもコカインなどの薬物が音楽業界自体に暗い影を落としていた時代もありました。現在はタバコを吸うことがマイナスイメージになりますし、薬物に手を出すミュージシャンはインターネットで晒され音楽活動が出来なくなります。昔の「ダーティー=カッコイイ」ではなくなって来たのです。

そんな時代の流れに乗ってミュージシャンも自身の身体に気をつけるようになってきました。
アスリートが精神論の限界を感じたようにミュージシャンも精神論だけでは無く理論的に考えるようになったとも言えます。

音楽教室もここ10年ほどでだいぶ様子が変わってきたように感じます。特に今はネット、SNSと情報が手に入りやすいので昔より選択肢が増えていると思います。昔は口コミ、紹介、看板やチラシなどで知っていた教室ですが現在だとまずはネットで調べる人も多いのではないでしょうか・

講師に関しても時代の流れを感じます。音楽講師は戦後からバブル期くらいまでは師弟関係が強くかなり縦社会の構図がありました。その結果、精神論になったり、厳しく、講師中心のレッスンになるケースも多々あったようです。ロックを習いに来たのにジャズの先生だったのでジャズを無理やり教えられたり、コンサートのチケットを無理やり押し付けられたり、ライブ時に荷物運びをさせられたりということがあったようです。今でもプロ志望の弟子と師匠の間ではある光景ですが、趣味でレッスンを受ける生徒さんにそういったことをさせることは現在はほとんどありません。

考えるとおそらく戦後から現在にかけて、講師業からサービス業にレッスンも変化をしているのだと思います。
講師業ですと音楽を教えるのが仕事になりますが、サービス業という括りにすると生徒さんが求めている要望に沿ったレッスンを行う。というように解釈がかわります。

生徒さんが教室に来るのはもちろん楽器が上達するためですが、プロ志望の人と、趣味の人では取り組み方や熱量が違います。
生徒さんの中にはレッスンの始めから終わりまでみっちりやりたい方がいる反面、雑談等をしながらそれなりにレッスンしてくれたほうがプレッシャーがなくていいという方もいます。仕事で帰りが夜遅くなる方に大量の宿題を出してもこなせませんし、練習すらままならない方に強く練習を勧めるのも時代の流れに合ってないと思います。

教室も楽器も量だけこなせばいいという時代は終わったのだと思います。という僕もそれほど厳しく教えられたことはないのですが生徒さんの中には「ビシバシお願いします!!」という体育会系の生徒さんもいるのでそういう人には宿題もたくさん出すようにしてますが、普段お仕事をされている人には「自分のペースで続けて下さい」と言っています。

ヤング・ギターの特集をみて時代を感じたそんな話でした。

ミュージシャン=アーティスト?

ミキサー

ミュージシャン=アーティスト?

以前、アイドルとバンド、クラブDJの音楽性の違いについて書きましたが、今回は「ミュージシャンとは?アーティストとは?」を書いていきたいと思います。

おそらく一般的にはミュージシャンとアーティストを比較しない方の方が多いと思います。

ちなみに日本語に直すと多少ニュアンスが違って感じます。
ミュージシャン=音楽家、特に演奏家
アーティスト=芸術家

芸術家というのは画家でも書道家でも写真家でもとにかく芸術活動に打ち込んでいる方全員ということがわかります。

こう書くと音楽家は全員芸術家ということになりますが、音楽を聞く上でそのくくりで考えてしまうと様々な弊害がおきます。

ここで問題はミュージシャンの説明が「音楽家、特に演奏家」というところにあります。
(※「音楽家、特に演奏家」という説明はネット上の情報を元にしたものです。)

音楽家と演奏家は2分されます。作曲家は音楽家ではありますが演奏家とか言いません。もちろん作曲出来るということはそれなりに演奏できると言うことですが、作曲家を自称している人が自身を「演奏家です」と自己紹介することはあまりありません。
作曲家は基本的には表現者と考えて差し障りないと思います。では演奏者=表現者かというと絶対ではなくなります。

演奏者=表現者という図式が基本なのは間違いないのですが、演奏者の中には演奏>表現と、本来なら演奏<表現であるべきはずが、優先順位が逆になってしまうことがあります。

演奏者の感覚として「表現として良い方を優先する」という気持ちは当然あるのですが、演奏者の演奏の賛否を最初に決めるのは視聴者ではなく、プロデューサーか他のメンバーか本人です。
演奏者がレコーディングで録ったテイクのうち片方が「荒いが勢いがある演奏」、もう一方が「まとまっているが勢いがない演奏」だった時に演奏者としては前者が良いと思っても他者が後者を選択することも多々あります。現在はハードディスクレコーディングでいくつかテイクを録音してあとから差し替えなども楽にできますので後でテイクが差し替えられたり、なくなったりすることもあります。

またそもそも演奏者の考える良い演奏とプロデューサーが考える良い演奏のイメージが違うことすらありますので仕方がない部分もあります。ただ本当のプロフェッショナルの人たちはプロデューサーが考える良い演奏を再現出来るのだと思います。またバンドだとメンバー間で良いテイクの選択が違うこともよくあります。

ここで最初の「ミュージシャン=アーティスト」なのかというテーマにもう一度戻ります。アーティスト=ミュージシャンではないことは先程書きました。

「ミュージシャン=アーティスト」なのか=「演奏<表現」or「演奏>表現」なのかという事になります。
「演奏>表現」だとすると表現よりも演奏を重視するのでミュージシャン≠アーティストということになります。
「演奏<表現」の場合にのみ「ミュージシャン=アーティスト」といえると思います。

 

「演奏<表現」が非常に強いアーティストだと平気で自分の楽器を持ち替えてしまいます。逆に言えば音楽でなくても一番表現性が高い表現方法を選択するとも言えるでしょう。

例えばボーカリストが絵を書いたり、絵かきが小説を書いたりするのはよく見ます。またマルチなスキルを持っているアーティストも見かけます。
演奏より表現が優先しすぎることで演奏が蛋白になってありがちな曲になることもありますし、演奏が優先しすぎて自己満足的な装飾が多く、難易度が高い曲になることもあります。

楽器の練習をとても真面目にしている人たちからみると表現に重きを置きすぎて演奏がおろそかになっている人たちは不真面目に映るのかもしれませんし、表現に重きをおいている人たちから見る楽器の技術や演奏スピードの速さなどに重きをおいている人たちは大道芸に見えるのかもしれません。

結局のところバランスがミュージシャンの立ち位置を決めるという点は間違いがないと思います。

こういう視点で見てみるとアートの立ち位置って抽象的で難しいですね。

運動神経と演奏能力

演奏能力

今回は運動神経と演奏能力について。

さてこの2つの相関関係はあるのでしょうか?

私的には意外でしたがよくこの「運動神経と演奏能力」を比べる人はいます。

「握力があるからコードを押さえられる」

「運動神経が良いから速いフレーズが弾ける」

「運動神経がないから演奏スピードについていけない」

などなど、ひどいと楽器が弾けない理由を運動神経と結び付けたがる人はいます。

まぁ確かにノロノロした人だとあまり楽器の演奏も上手くなさそうに感じますが。。。

あとは「運動が出来る人」=「体で覚えるのが上手な人」という発想もありますね。

これは難しいところです。

「体で覚えるのが上手な人」=「上達する人」という構図はあってますからね。

で実際のところはどうなんでしょうか?

また「リズム感は運動神経と比例する」と言われるとそうな気もしてきます。

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こんな実験が行われたことがあります。

「滋賀県と茨城県の中学生計487名に対し、数々のリズムテストと運動テストを実施し、結果を比較」

した結果

「仮説に反し、運動能力とリズム感の相関関係は認められなかったキラキラ」とのことです。

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僕が今まで教えた生徒の中にも運動神経が良い生徒とそうでない生徒は当然いました。

結果論から言うと相関関係はみられませんでした。

・・・・が、僕は多少は関係があると考えています。

ただし「運動ができる」=「楽器が弾ける」は間違いだと思います。

僕の思うところは

「体の使い方をきちんと認識できている人は運動でも演奏でも効率よく練習ができ、その結果一般の人よりも早めの成長が見込まれる」

ということです。

「運動ができる人」って2タイプいると思うんです。

・1つは先天性的に身体能力が高い人

・自分の体を使うのが長けていてそれにより人よりも運動が出来る人

たとえば走り高跳びなんかは当然身体的な特徴がかなり重要視されると思います。

柔道も体重別になっているくらいですから身体的特徴と成績がある程度比例すると思います。

ただ球技やチーム競技などは頭や個々の役割も重要な要素ですのである程度は頭を使うことでカバーできると思います。

ここでいう後者の

・自分の体を使うのが長けていてそれにより人よりも運動が出来る人

のケースだと演奏するのも効率よく練習できるかもしれません。

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ちなみに僕は完全に後者ですね。

運動は中の上くらいでしょうか?今でも体力や運動に関してはそれほど出来ない気もしませんが自慢できるほどではありません。

ギターの演奏技術も長年こつこつ練習してきた結果で、練習方法の効率化が今の自分を作っていると思っています。

なのでまとめると「そんなに気にすることはない」

という結論です。ただし体で覚えることには違いが無いので反復練習は必要です。

ただ、運動選手でも得意不得意はあるようです。先日読んだニュースなんですが、自分自身の名がついた技を持つ体操で有名な白井選手も昔は運動が苦手だったような話を目にしました。運動神経にもいろいろなパターンも有るのだと思います。

これは運動でも演奏でも一緒ですよね。

ドレミファソラシドはどこから来たのか?

ドレミファソラシド

 

今回は「ドレミファソラシド」の雑学

音階を発明したのはピタゴラスだという話は以前しましたが、その音に名前をつけたのは誰でしょう?

そもそもこの「ドレミファソラシド」音符って誰が命名したんですかね?

この「ドレミファソラシド」にも意味があると考えるのが適当ですからね。

では「ドレミファソラシド」の秘密を解き明かしていきましょう。

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実は音階は昔は

Ut・Re・Mi・Fa・Sol・La

と言ってたらしいです。

「ド」と「シ」がありませんね・・・

もともとは1024年イタリアの僧侶ギドー・ダレッツオと言う人がカトリック教会での「聖ヨハネの生誕」の祝日に歌われる『聖ヨハネ讃歌』の歌詞の各節の歌い出しの音が、順々に一音ずつ上がっているので、それぞれの音の名前として、各節の歌い出しの歌詞である「Ut・Re・Mi・Fa・Sol・La」をつけたのがはじまりだそうです。

ただ、これだと「シ」がないのですが、「シ」がつけられたのは17世紀。

・・・・それまでどうしていたんですかね??

17世紀に「Sancte Ioannes(聖ヨハネ)」の頭文字をとって「Si(シ)」と名づけられたようです。

※参考HPから抜粋

では「ド」はどこにいったのでしょう?

「ド」にあたる「Ut」が発音しづらいため、「Dominus(支配者)」の「Do(ド)」に変更されたようです。

いや~、このDominusって結構音楽理論などでの用語で関連した言葉が出てくるんですが、こんなところにもいましたか!!って感じですね。

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これに付随する雑学をせっかくなんでもうひとつ。

「ドレミファソラシド」と言えばドレミの歌。

おそらく日本では知らない人はいないのではないのでしょうか?

「ドはどーなつのドー」ってやつですね。

もともとは1959年に公開されたミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」の中の1曲。

これっていくつも日本語訳があるってしってました?。

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Doe, a deer, a female deer

Ray, a drop of golden sun

Me, a name I call myself

Far, a long long way to run

Sew, a needle pulling thread

La, a note to follow sew

Tea, I drink with jam and bread

That will bring us back to do.

ドはディアー メスの鹿

レ(レイ)は雫 光り輝く太陽の

ミーは名前 自分を呼ぶ名前

ファーはずっと遠く

ソーは針と糸

ラはソーの次

ティー(シ)は紅茶のお供にジャムとパン

さあドに戻りましょう

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これは直訳のものです。

まぁ流れは一緒ですね。でも中身はずいぶん違います。

もともと言葉遊び的な歌詞なのでそこは仕方ないでしょう。

面白いのは「シ」の部分ですね。

「ティ」になってます。ティの方が近いいんですかね??

ちなみに僕らが記憶しているのは「ペギー葉山」バージョンでそのほかにも2人、日本語の歌詞をつけています。

3人とも1963年に出したのですが、メディアの露出とかですかね??今ではこの「ペギー葉山」バージョンが一般的になっているようです。

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ドは ドーナツのド

レは レモンのレ

ミは みんなのミ

ファは ファイトのファ

ソは あおいそら

ラは ラッパのラ

シは しあわせよ

さあ うたいましょう(ランランラン)

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他の2人のを全部書いていると長くなってしまうので最初の「ド」と「レ」だけ・・・

宮城まり子

「ド、甘いドロップのド」「レ、レンゲの花」

九重佑三子

「ドはどこまでも」「レはレンゲ草」