ロンドン・パンク

イギリスのパンクは労働者階級指導の耐久闘争的要素の色濃いムーブメントであり、妻と共に知らされたのは粗野で稚拙な直情的な言葉の数々であった。
少なくとも、初期においては高い失業率の中、失業手当てで未来なきノーフューチャーな今日を生きる退屈さへの憂さ晴らしをがなりたてるたぐいのものだったら、マスカルチャーにおいて「for the rest of us」という方法論としてのパンクはテクノがいみじくも指し示すように現在でも充分有効である。

が、誕生当時の初期衝動としてのパンクは宿命的儚さ資産をはらんでいたのではなかったかなかった。80年代のパンクがニュー・ウェイヴという形に換骨奪胎したのはマーケットによって自動的にデフォルメされたのではなく、能動的にした部分が大きい。

その意味ではメールはパンクの停止したスタイルを継承したのだが、その見方は最近ではグランジなど、ほとんどのポストパンクのイベントが踏襲している。しかし逆説的に言うならば、現在のイギリスに顕著なようにしが癒着した縮小再生産にまで崩落してしまっているのは暗にこのパンクの呪縛からだから未だにロック自体やメディアが脱却できないでいることの証でもある。
その泥縄的状況のブレイクスルーはもはやロックではなくヒップホップに顕在化しではないだろうか。

ニューウェイブ

ポストパンクを宣言し、新作のロックをさらに引き受けたジョン・ライドンの形成したPILに全てはあらわれている。レゲエやダブの強力な導入、リズムの重視、サウンドやスタイルの実験性、ここからさらにノイズやテクノなどが派生していく。オーペアズやレインコーツなどそれまでの女性ロッカーとは異なるキャラクターが出てきた点にも意義がある。policeのように能ある鷹は何とやらで、自らの技術を認定しつつ、あえて技法的に貧しいスタイルを追求することで、データを経由した白人による黒人=カリブ海音楽解釈を一歩勧めたバンドもあった。

ボロボロの格好にスリーコードで事足りたパンクからの内省から生まれたスタイル的にように関連に走るきらいのある。ジャパンやマイクオールドフィールドあたりがその典型。前衛志向や思想性を前面に出しながらも、音楽的解釈と技法の斬新さでパンク、ダブ以降を切り裂いたギャンブオブフォー、XTCなどは珍しいタイプである。アメリカではトーキング・ヘッズなんかは最初っからパンクというよりニューウェーブ的だった。今や死語に等しいこと言葉も、スミスやデレクジャーマンとか、ここのプラットフォームに出てきた表現者が多いことも忘れてはいけない。

ニュー・ロマンティクス

Boy Georgia アダムアントなど。この周辺にいたアイドル系ニュー・ウェイヴあたりからニュー・ウェイヴの商品化は始まっていた。

ファッショナブルなスタイルに適当にちりばめられたテクノや黒人音楽ノリは聞きやすく、のちの馬鹿げた投機的経済を気分的に準備した。
ジャパンやウルトラボックスあたりにあった雰囲気はもう少し真面目なものであり、グランドニューウェーブの融合は必ずしも無意味なものではなかった。

化粧のアンドロギュネス的なイメージには既にゲイの影響が無視できない。だがそれがニューロマンチックという名で呼ばれてからいっきょに産業化が進行する。いわゆるムーブメントとしてはジョンサベージ、デュランデュランスパンダー・バレエなのが筆頭であり後はカジャグーグーなどゴミみたいなグループも数多い。

むしろミッジユーロやジョンフォックスのようにニューロマンティックでは呼ばれなくなる人間たちに、その可能性が潜んでいた。というのは深読みすればニューマンティクスの意味は新しいロマン主義にとどまらないもう一つの意味がある。それはニューロロマンティックするという意味である。サイバー美学と黒人音楽、僕の再構成にこのムーブメントは依拠していたはずだった。

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