CD

その歴史の浅さゆえ、CDの普及がロックに及ぼした影響はまだ過渡的なものではある。一般的にCDというパッケージの成立ポイントである安易な携帯性、いちいち裏返すことなくアルバムが通して聴ける操作性、最大70分の長時間収録といった側面は、そのまま弱点にもなりかねない。ジャケットサイズの小ささやプラスチックケースの劣化はレコードほどのオブジェ性を感じさせないし、AB面という二面性をなくし収録曲数が増加傾向にあることが逆にLPよりもリスニング体験からメリハリをなくしていることは事実である。

またLP 2枚分をCD 1枚に収めた2in1や、現場にいない未発表曲やアウトテイク、シングルB面などをボーナストラックにしたりそれらのおまけを目玉にしたベスト編集版のボックスCDなど、CD独自の規格も様々あるが、これもまた過去の遺産の再利用といった感は否めない、これまでの半世紀近いポピュラー音楽しか蓄積してきた作品の多くがCD化によってここで10年余りの間に再発され、従来的な時空間軸に沿った音楽体験がなし崩しになった。古典的名作もマイナーレーベルの化粧板も新譜も、ほぼ同時にCDショップに並んでいるわけでただし、ただでさえロックの雑食性には定評があるが、CDを主流としたソフト環境が、若いロック世代が音楽性に影響与える事は想像に難くない。

コンピレーション

ベスト盤やグレイテスト・ヒッツの類はLP時代の産物だが、CD時代になってコンピレーションと銘打たれたアルバムが目立つようになった。それはかつてオムニバスと呼ばれた形式と似ているが、より積極的な作品性や意味の付与がなされていることが多い。複数アーティストを登場させることで、あるシーンを浮き彫りにしたり、1人のアーティストの意外な側面をアピールするなど想像とは編集である、というポストモダンな作品化の反映とも言え、ハル・ウィルナーのプロデュースになるウェイルやディズニーの音楽集も、広い意味でのコンピレーションと言えよう。それと無関係ではないが、ポップの同時代人としてロックにも少なからず影響を及ぼした後、ジョンケージのトリビュート,コンピレーションアルバムではCDのシャッフルモード用いることで曲順どころか1つ1つの曲も細分化され文字通り偶然による操作が聞ける。かつてトータルアルバムが初めから終わりまで聴き通すという強制を聴者に課したのとは、対照的なCDの美学である断片化全体を表し、全体も断片であるというべきか。

トリビュートアルバム

トリビュートアルバムは、その本来の性格からして、多くのものは麗しげ捧げものといった誠意や真心等のストレートな表現となるものである。ただしそこはアーティストの世界、あまり純情生1本ではリスナーとして面白みがない。どうせなら元ネタに十分敬意を払いつつ、トリビュートする側の大胆な解釈や異化作用を見せてくれることを期待するのが自然な感情というものだろう。

そういった意味では少年ナイフやソニックユースが新世代のグループが作ったカーペンターズへのトリビュートアルバム注目に値する。その中でもとりわけできのいい出来であるソニックユースのスーパースターは、その曲自身のカーペンターズという存在自身の両者の完全に批評対象として手中に捉えており、見事な解釈を見せている。図らずもカレンが拒食症による死ということで表すことになったカーペンターズの不気味なほどの健全さを、ソニックユースは裏側から巧みに崩してみせるといえる。ほかの何組かの仕事も、カーペンターズの世界が限りなくデビットリンチのブルーベルベットやツインピークスに近いアメリカの奥深い不気味さの表面を包む薄皮であることを示唆していてはっとさせられるまた。またかなり大胆な色望んだ方法の成功例としてはディーク・ラップスのメタリカの例が挙げられる。

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