ロックの改革

ビートルズをリアルタイムに体験している数多くのファンが、彼らとの出会いを「ある日、それまでに聞いたことないような音楽がラジオから聞こえてきた」や「なんという不思議な音楽だろうと思った」などと証言しているのは興味深い。当時マスヒステリアなどとも言われた若者の熱狂は、とにかくそこに何かがあったことを示している。
その何かの正体ということはとりあえず山下邦彦の「ビートルズの作り方」あたりに譲るとして、ここで問題にしたいのはそれまで聞いたことないような体験型という事実だ。

ミュージックライフなどのとった当時の日本音楽雑誌を見てみると、64年、ビートルズの人気が高することと、のちにニューロックとかアート・ロックと名付けられた新しいロックが出現した1967年以後の2段階を経て、雑誌のスタイルや言葉遣いががらりと変わっているのが分かる。音楽が変わると、人々の意識も変わるのだ。どうもその逆ではないらしい。公費の無駄遣いなど知られた欧州復興銀行総裁の職を追われたフランスの経済学者「ジャックアタリ」は文化研究の世界ではむしろユニークな思想家として知られている。

特に著書「雑音」の「大きな社会変動の前には常に音楽の規範徴収様式経済システムの本質的変化が先行している」という魅力的なていれば有名である。アタリはそこで、50年代のロックンロールの60年代の「反抗と混乱の季節」の先触れとしてあげているが、よりミクロに見ても、1967年にロックの世界で起こった出来事は、フランスの「5月革命」と「チェコスロバキア事件」が起こった1968年という年を告知しているように思える。

まず何よりもビートルズの「サージェントペッパーズロンリーハーツクラブバンド」が挙げられるが、この年はまたジミヘンドリックス、ジェファーソンエアプレイン、doors、といった新しいロックの記事がレコードデビューし、大ヒットを飛ばしたとしてもある。6月いわゆる「サマーオブラブ」の真っ只中にカルフォルニアのモンタレーで開かれたモンタレーポップフェスティバルは、2年後のウッドストックのモデルとも言える画期的なフェスティバルであった。スコットマッケンジーの歌「花のサンフランシスコ」はこの時代の気分よく伝えている。一方ニューヨークでは町のパンク、ニュー・ウェイヴあるいはローファイの先祖ともいえるベルベットアンダーグランドがデビューアルバムを出している。もっとも当時彼らの影響は必ずしも大きくなかったが。こうしたロックの年表への世界史年表への先行は他にも見出せるだろう。

例えばパンク、ニュー・ウェイヴはエコロジー、自然志向に向かっていた1,970年代前半の意識を再び都市に向けさせた。ベルリンの壁を崩壊させた大きな原動力はレーニンがレノンに負けたと言われるように、東側の若者たちの西側のポップカルチャーへの憧れだった。旧ユーゴスラビアの思想家スラヴォイ・ジジェクはユーゴの社会主義体制下ではパンクムーブメントは極めて政治的内儀を持ったと証言している。チェコスロバキアにはレノン主義といった反体制グループまであったらしい。それ以前違ったのかもしれないが、20世紀後半に物事が変わるときの原理は快楽原則だったのではないだろうか。

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