ケイトブッシュ

ともに良家の出身であること、古典や文学に対する造詣、シアトリカルなステージ、近年の民族音楽の導入など、思えばケートブッシュの指向性は驚くほど友人ピーターガブリエルのそれに類似している。実際この2人は何回か共演もしているし両者の作品からは頑な英国人気質に裏打ちされた音楽的連携すら感じられる。

とは言え細部においては相違もあってピーターが社会活動にご執心などとは対照的にケイトブッシュはあくまでも私的な操作キャストに没頭していることが多い。デビュー作「嵐が丘」から「レッドシューズ」に至るまで芳醇な文学的背景とサウンドに対するマニアックなこだわりを持ちながら、彼女が作る音楽は決してアバンギャルドではなくソフトポップであり続けている。忙しない音楽業界の潮流とは一歩引いた場所で、4~5年に1枚という超マイペースでアルバムを出し続けるケイトブッシュのスタンスは、育ての親ギルモアのいるPink Floyd並みの優雅さであることは間違いない。

ガブリエル同様、育ちの良さに支えられた良質のロックミュージシャンという稀有の存在であろう。年齢を越えた大人の女性の取り出すファンタジーを口悪い人はピンクハウスを来たおばさんと揶揄するかもしれないがそのスタイルを貫いてなお高い評価を得ているところにケイトブッシュの存在意義がある。

クラフトワーク

クラフトワークとは反復のことである。こう断言してしまうだの奇妙な各要素の理由がわかっていうの気になる。

アフリカ音楽の反復リズム。それに由来するファンクやソウルの1コードリフを永遠と繰り返しながら高揚していくパターン。クラフトワークはこういった生理的快感を慎重に抽出してはプレパラートを作ってみせた。
時にスタイルとしても彼らが徹底的に反復を演じて見せた。スーツという殺菌済みの制服はメンバー個人のキャクターを隠蔽し、クラフトワーク1号、2号・・・X号というように永遠には反復される人格を演出する。プロモーションビデオなどで用いられるからのそっくり人形も人間を抹消するためではなくまさにこの反復運動の象徴=X番目のクラフトワークとして存在するのだ。

一種のウォーホル的なとさえ言えるこのした自己メディア化は杉浦直樹を思わせるあの妙に律儀な髪型からも見て取れる。それに楽曲の反復だ。トランスヨーロッパエクスプレス以降のクラフトワークは極端な言い方をすれば、たった1曲テクノを手を変え品を変え反復してきたにすぎない。
それ故かつては先鋭だが今は停滞とみなすこともできようが、ここでは反復としての体裁すら回路の計算には組まれていることであろうことを積極的に評価したい。

スロッビンググリッスル

彼らが活動開始したときは、もう1つのカウンターカルチャーの流れ、パンク・ロックの発生時期と重なる。パンクと比べた場合、スロッビンググリッスルはセンセーショナルな反道徳的なスタイルでは共通するものの、多くの点では対照的だ。パンクが社会的政治的な領域批判に焦点を当てたとすれば、スロッビンググリッスルやその後のノイズミュージシャンには、近代社会のもと意識に抑圧された部分を容赦なく表舞台に引きずり出そうとする意図がある。

戦争、幼児殺人、強制収容所、拷問といった身体への暴力的な破壊を伴う事柄に強い関心を示す。他方で情報やメディア、心理操作といったメンタルな暴力にも大きな関心を寄せ、音楽や戦争の情報を視点から捉えた、でも先駆的だ。こうしてスロッビンググリッスルのなかには、ある種のオカルト的な要素とポストモダンの情報操作批判に通じる考え方が混在しており、これが特異なスロッビンググリッスルの世界を形成している。またウィリアムバローズ、モンテカルロザザなどのカルト的な人物の抱えなど、スロッビンググリッスルが音楽やアートの近い世界に構築した戦略は現代でも無視できないほど影響力も続けている。スロッビンググリッスル解散後カーターとステファニートッティはcreative technology instituteを結成、ピーオレンジとクリストファーソンはサイキックTVを結成する。

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