フランクザッパ

ザッパは合衆国のラディカルな個人主義に忠実なアーティストだった。何者にも束縛されたくないという彼の姿勢は、ジャズ、クラシック、前衛音楽の自由なコミニケーション中に示されている。だから彼をロックやポピュラー音楽のアーティストとして狭い枠にはめたくはない。
彼の音楽はそうした分類を退け、ただクランクアップの音楽としか言いようがない世界を目指した。このことは彼の音楽と社会の関わりの中によく示されている。barking pumpkin recordsを主催し、レコード制作と配給にを大手にられなかったしてもその表れだろう。

ビートルズのサージェントペッパーに対抗して1968年に「俺たちは金のためにやってるだけさ」をフランクザッパがリリースした時、アルバムにはカフカの「流刑地にて」を読め、という通訳がつけられた。これはベトナム反戦運動や公民権運動の中で、国家による弾圧が激しさを増しつつあることねの警告だった。また1985年にレコードの歌詞の表現規制に反対して制作しただった検閲の母と出会うにもそうした彼の指定を見ることができる。現在では輸入盤でお馴染みのワーニングシールはだったの戦いの敗北のしるしでもありこのシールを見るたびに僕はザッパ思い出す。

セックスピストルズ

セックスピストルズほど、虚々実々したバンドも類を見ない。マネージャーだったマルコムマクラーレンのマリオネットとか、ヴィヴィアンウエストウッドの体のいいブランドプロモーションとか、シド・ヴィシャスはベースが弾けなかったとか。これらの噂は真実と同時に虚偽でもある。

つまり確かにTVでf☓☓Kという文言を連発して良識者の眉を潜めさせたり、シングル発売日にテムズ川で「god save the queen」をやらかし、世間の顰蹙を買ったりと過剰なまでに装飾されたアナキズムはマルコムの仕掛けに間違いないが、これらの行為や作品が、バンド自身無論、マルコムの思惑をも超越し、健康なエスタブリッシュメントを一瞬、錯乱せさしめたのも事実である。バンド解散後、パンクバンドの作り方処方箋映画「ロックンロールスピンドル」を発表、ピストルズの他愛もないフィクショナルの生い立ちを暴露し、嘲笑にした。ボーカリストであったジョンライドンも、素早く脱退することで不毛な活動継続に終止符をうつとともに、新たに結成したPILに呪詛を潜めた。そしてシドはオーバードーズで死去。ピストルズに妙な幻想は不必要である。ただ出口なしのイギリスに突如降ってわいた奇妙な開放感はをもたらしたマレビト的な、してやったということだけで充分だ。

クラッシュ

パンクの政治性について語られる際、常に引き合いに出されるのはこのクラッシュである。
だが、注目すべきはその直哉的な部分ではなく、パンクバカ的姿勢だ。だいたい、いい大人がステージで迷彩服に身を包み、胆汁づまりのボーカルで「権利を行使せよ」と涙流さんばかりに吠えまくる、という姿はどう考えても周到な思考の末の結果とは思えない。思考即実行というのは、大きなリスクヘッジを伴うが、彼らは感情ストレートに吐き出した。レイシズムに虫唾が走れば反人種差別を、マテリアリズムに辟易すれば物質主義批判を歌い、レゲエを、ダブを、カリプソも、ブルースも、果てはケルティックまでを取り込んで、LP1枚に収まらなければ2枚に2枚でもダメなら3枚にとその表現希求は果てがないほどの誇張ぶりを見せた。

バンドの成長とともに歌詞は深淵化し、サウンドも複雑化していった。が、それでも彼らはバカぶりを発揮し続けた。同じアルバム中でペシミイズムとオプティミズムが交互に顔を覗かせる支離滅裂さ。バンドが終焉に近づけば「should i say shouid i go」と歌うピストルズに比べ、彼らがどんくさく見えるのもそんなところが起因しているのだろう。だがパンクの最大のアピールはdont it yourselfだったはずだ。暮らしはそれを悲しいほど正直に体現していたバンドだった

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