ロックとクラシック

ロックに登場するクラシックには、その引用のされ方に二通りある。1つは明らかにクラシックの影響下に作られたオリジナル。バロックネタの多いオランダのフォーカス、イタリアのPFM、プロコルハルムの「青い影」。ジェネシスの「ファースト オブ フィフス」なのである。「ファースト オブ フィフス」はイントロのピアノ曲が中間奏の形で再現され、こうしたクラシックふうの構成、形式の引用が、組曲形式やトータルコンセプトアルバムの流行となっていく。また70年代にはdeep purple、プロコルハム、リックウェイクマンなどオーケストラとの共演も盛んにころ見られた。もう一つは原点が明らかなもの。イエスの「壊れ物」に於けるリックウェイクマンのキーボード多重録音による「CANS AND BRAHMS」はブラームスの交響曲第4番が原曲。このタイプで数多くクラシックを取り上げているのはなんといってもキースエマーソンだろう。有名な展覧会の絵をはじめ枚挙にいとまがない。特記すべきはバッハなどと並んでバーンスタイン、グルダ、コープランド、ヒナステラなど近代音楽から現代作品を好んで取り上げていることでバイク以外はスコア収集とリーディングが趣味というキースらしい選曲である。

ロックとワールドミュージック

ロックとワールドミュージックの関連を3つに分けてみよう。欧米に育った生粋のロックアーティストがエッセンスとしてワールドミュージックを取り込む場合。欧米在住の移民たちによるアプローチ。そして第三世界のアーティストがロックを客に取り込む場合である。

まずロックがワールドミュージックを取り込む場合だが、ヨーロッパでは旧植民地からの移民の影響か、アーティストがアフリカ系の音楽を取り込むケースが多く見られる。メジャーどころでは60年代のローリングストーンズや70年代初頭のLed Zeppelinにもそのニュアンスは感じることが出来るだろう。
また、クリームのジンジャーベーカーはフェラ・クティとの共演を果たすまで入れ込みようであった。そしてこのケース中で最も積極的だったのはきたピーターガブリエルではないか。
詳細は割愛するが、90余年のCD-ROM(XPLORA1)にはこれまでの活動はコンパクトに収録されている。

一方アメリカは国家自体が他民族から構成されていることもあり、旧来よりロックと少数民族の音楽との接点が多く見られた。な典型によるサンバやプエルトリコ系のサルサ、ヒスパニック系によるテックスネックス等がコミュニティ内部で独自の発展を遂げ、その人気はコミュニティー会にも波及し、ルイジアナでは白人のカントリーと黒人のブルース、カリブの音楽等がミックスされたザディコなど今後かから新たな音楽が誕生するなど、アメリカのコスモポリタニズムが具象化した例も見られるが、それらを土壌として、ライ・クーダーがハワイケイジャンカントリー等への様様々なアプローチを込めていることは広く知られているところであり、デビッドリンドレーも沖縄やマダガスカル島へのアプローチを試み、他にもドクターJohnとロックからの試みも数多い。

そして80年代初頭からのニューウェーブ期にはニューウェーブ自体が借用を多用したこともあって、ワールドミュージック的なニュアンスも随所に見られた。
こうした系の是非はともかく、ロックがワールドミュージックの一般化に大きく寄与したことは事実であろう。加えてワールドミュージックから個性的なアーティストが排出されるようになった現在、ロックのあからさまなアプローチは鍵を潜めた。

最後に第三世界のアーティストによるケースだがこれはワールドミュージックの基幹をなす部分でもある。もっとも成功した例としてセネガルのユッスー・ンドゥールが挙げられよう。
彼らはピーターガブリエルや坂本龍一との共演を機にロックファンにも知られるようになり、フォーマットでのツアー、精力的な作品リリースを通し、今では一般認知も高まった。彼のユニークな点は本国とのインターナショナルな活動を90年のセットまで欧米とセネガルとのマーケティングを明確に分けた戦略であった点であり、さらにはワールドミュージック系のアーティストがかなり苦戦を余儀なくされていたアメリカのマーケットに対し、92年からはスパイク・リーのレベルに移籍、果敢なアプローチを図り、実際94年の作品「the guide」はネナ・チュリーとのデュエットやボブデュランとのカバーという話題もあってかかなり好調なセールスを記録していた。このようにアグレッシブなアクションを実行しているアーティストは現在のところまだこのユッスンドゥールぐらいだが、今後情報流通の活性化に伴う価値観のボーダーレス化と並行して旧来のように搾取の対象としてのワールドミュージックではなく、相互リスペクトに基づいた有機的な動きが増加するものと思われる

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