ラップ/ヒップホップ

ラップは70年代初期のニューヨークに発祥を持つ。ジャマイカからも積まれた巨大なPA以外、ありきたりのディスコだったが、いつしかDJが選曲を競うようになり、そのエフェクトとしてレコードを文字通り引っ掻くスクラッチが考案され、DJたちはターンテーブルプレイテクニックに磨きをかけていった。
そして曲に合わせて喋るラップ、アクロバティックなブレイクダンス、極彩色のペインティンググラフティーと新たなヒップホップ付随要素が混合し大きなムーブメントを形成した。

82年には自身が置かれた抜き差しならない状況をライムにした曲、「ザメッセージ」をグランドマスターフラッシュ&フューリアスファイブがヒットさせ、ニューヨークローカルであったラップは全米規模の広がりを見せる。その頃活躍していたのがオールドスクールと言われるアフリカンバンバータや、スリックリックといったアーティストでした。

彼らの影響か、ファンク系の音楽が多かったヒップホップに86年ハードロックを導入しウォーク・ディス・ウェイのカバーを大ヒットさせたランDMCが登場。彼らのインパクトにはいくつかの特徴がある。当時注目の的であったMTVを最大限に利用し、従来の黒人ミュージシャンにありがちなイナタいコスチュームではなく、ジャージやバスケットシューズといったスポーツギアに身を積み、さらには臆面もなく自らのワードローブブランドであるアディダスを見せつけたことである。
今も受け継がれるビーボーイスタイルはこの時点で決定された。

そしてシーンはビースティボーイズのヒットによってさらに活況を呈することになる。進化と深化の結果マルコムエックスの主張を踏襲し、ブラックパワーを喚起したパブリックな人やブギタウンプロダクションの登場でラップが黒人たちの指導者的側面も持ち始めた中、クイーンでタフなラティファら女性ラッパーもデビュー。

80年代後半にはデラソウルやアットライブ、コールドクエストらニューススクールで呼ばれる新人たちが登場。彼らは声高にメッセージを主張しない代わりに、非常に凝ったプロダクションが特徴だ。その姿勢は肯定的な意味でのオタクを想起させる。レコード会社のマーケティングによる方針、星の数ほど新人デビュー、そしてベテラン勢の奮起等の相乗効果の結果、チャート上位がなくて絞められることも珍しくない状況が訪れた。

かくの如き状況下でラップ、ヒップホップはバリエーションに富むことになる。西海岸からは本物のギャングが結成したエヌダブリュー。最初はスカスカのしょぼい音だったが、分裂後アイスキューブやドクタードレイラガソロー出す作品は東海岸を凌駕するクオリティーと勢いを持つ。ちなみに今や当たり前となった彼らのステッカーだが野暮でダーティーな語彙を多分に含む彼らや、マイアミのツーlive crewの離陸がセンセーシップの標的となり、議会で討議されるまでに発展した結果である。それに反発するように生真面目を絵に描いたような姿勢を打ち出した、アトランタから登場したarrested developmentらは生牡蠣を大幅に仕込んだ斬新な音作りを模索し、また東海岸にはDJプレミアを中心にオールドスクールを再検証する新たな方がも見られるなど、もはやラップはロックと同様の多岐多様性を持つに至ったのである。

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