プログレッシブ・ハード

アートロックとも称された60年代後半に勃興したロックの新潮流には、ブルースをベースにした長時間のアドリブや大音量の演奏特徴としたクリームやヴァニラ・ファッジのようなグループも含まれていた。

要するに最初の段階ではハードロックも十分プログレッシブだったと思う。70年代以降プログレもHMも様式美の極北=王道ウェーブの烙印を押されてきたのだが、中でもスティンクスやカンザスボストンなどといったグループがシンフォニックなアンサンブルとハードなサウンドが共存するユニークなアメリカンロックを切り開き、これがプログレハードと称されるようになる。

80年代以降ハードロックも多様化すると、ミクスチャー系やスラッシュメタルなど高度な演奏技術が必要とされるサブジャンルが横行する。一方でプログレハードの先駆者存在であるカナダのラッシュが、トリオ編成ながら複雑かつ重厚なサウンドで大成功覚めたり、80年代後半にはクイーンズライクやドリームシアターといった面々が超絶技巧を披露する対策で好評を博し、これらのラインハードロックとプログレの双方から人気を集めている。またジャーマンメタル界のキーマン、ラルフヒューベルトのプロジェクト、メコンデルタもまたクラシックとスラッシュメタルの異種交配に意欲的で、同じ文脈から注目されている。

ミクスチャーロック

ミクスチャーロックとはハードロックとパンク、ある意味でアメリカの永久の課題であるホワイトネストとブラックネスを象徴する表現形態である。
各々の軸をなぞる発してクリップは決して交わることのない永久運動かと思われた。が、その放物線が80年代中期カルフォルニアで交差し結実化した。ハードロックのリズムはジャストもしくは前倒しの傾向にあり、結果、それが破壊的な速度感を増長させる。

一方のファンクはどちらかといえばゆるいビートの間こそが重視されそのシンコペーション思ってグループ化を醸し出す言うなればヘヴィメタルのアウターベクトルに対し、ファンクはインナーベクトルという退避行動なのである。
これを軽やかに横断し、入子構造にしてみたのがレッドホットチリペッパーズやフィッシュボーンといった西海岸のグループであり、彼らはまさに縦軸と横軸をマッピングした2次元方程式を解いてみせた。

彼らはバローズに傾倒し、体にタトゥーを振り込むというアブストラトな側面を持つが、乾燥したサウンドはスケーターたちのボーディングに符合し、彼らのランページをこのマストのアイテムとなったのをきっかけに、大きなムーブメントしての隆盛を見せる。かくして不可解なのがこの潮流がイギリスだけではなくオランダやスウェーデンに質の高いエピゴーネンバンドを誕生させたことである。

白人ヒップホップ

ほぼ同時期に共にリック・ルービンをプロデューサーにランDMCとビューティーボーイズはロック色の濃いアルバムを発表した。ランDMCはエアロスミス、ビースティーはツェッペリンを引用したのだが、ランDMCの「ロック」がscratchネタとしてサンプリングに止まり、全体的なトーンではラップの域を堅持していたのに対し、beastie boysはヒップホップ自体をディスコーストラクションしてみたというのが偏った見方であろうか。

beastie boysがその後、過度なディストーションかけたらラッピングにボアダムスやミニストリーの影が散見されるバンド形態に復帰、自ら興したレーベルgrand royalからも新人もハードコア・パンクのDFLやレインコーツに似た雰囲気のルーシャスジャクソンというところにも彼らのスタンスが見て取れる。また、西海岸のサイプレス・ヒルやハウスオブペインだラフハウス一派はループを多用した非常にヒップホップ的手法に沿ったサウンドプロダクションにもかかわらず、レイドバックしたアーシーなロックとしか形容できない雰囲気を漂わせている。つまりヒップホップ白人によるヒップホップは先天的なロックのファクターを後天的なヒップホップに重ね合わせたハイブリットの産物といえるだろう。

マンチェスターにおける音楽の発展

80年代のポップミュージックを語る上でマンチェスターという地名を書くことができない。
79年1月に当時のインディーレーベル・ファクトリーが初めてリリースしたレコードファクトリーサップサンプラーにその予感がみてとれる。ここにはジョイ・ディビジョン、ドゥルッティコラム、キャバレーヴォルテールといったポストパンクニュー・ウェイヴを代表する重要バンドが顔をそろえていた。

特にジョイ・ディビジョンは80年代5月のイアン・カーティス自殺を得て、ニューオーダーとして生まれ変わり、大きな成功を収める。83年にはザ・スミスが登場。ラフトレード在籍のインディーバンドでありながらボーカリストのモリッシーは世界中からカリスマ的支持を集める。一方、ファクトリーが経営するクラブ「ハシエンダ」を中心に新しいダンスミュージックも育まれていた。

86年頃スペインのイビサ島から持ち込まれたAcid Houseが流行し始め、88年にはイギリス中を席巻。そんな空気を呼吸した新しいロックバンドとして、ハッピーマンデーズ、ストーンローゼズが一躍注目を集めマンチェスタームーブメントという言葉を生んだ。こうしてマンチェスターのシーンを振り返ると80年代くわくだという物言いがロンドンしか見ていなかったこととわかる。革命は常にここで起こっていた。

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