2トーン

初期衝動としてのパンクが明白な失速を露呈し始めた79年、イギリス中部の工業都市コベントリーでツートーンを代表するバンド、スペシャルズが結成された。
パンクが主張したロックagainst racismを体験するかのように白5人黒人2人から構成され彼ら自身のインディペンデントレーベルからリリースされたファーストシングルギャングスターは、大ヒットを記録する。元来はジャマイカで生まれ、彼らだけのオリジナルでもあるスカの緩いビートのエッジを研ぎ澄まし、パンク以上の圧倒的な疾走感を誇る彼らのサウンドがポストパンクの覇権を競った数々のアーティストの存在感を打ち消すのに時間はかからなかった。

その後、彼らが自身矢継ぎ早にヒットを量産しながらも、新人のデビューにも腐心し、白鳥の湖のスカバージョンをリリースするなど、とぼけた味のマッドネス、黒人女性ボーカルに据えたセレクター、そしてビートなど次々とリリースされた。
しかしスペシャルズの分裂を機にいつしか帰らもフロントから消えていった。が、specialAKAのシングル、フリーネルソンマンデラがイギリスのアンチアパルトヘイトを代表するタイトルなるなど、その存在は決して一過性のものではなかったことは事実である。

ON-U

レベルのカタログナンバー一番としてクレジットされ、イギリスのニューウェーブやで元取ってマイルストーンとなるニューエイジステッパーズのファースト。このNASはプロデューサー、エイドリアンシャーウッドを核とした、アーティストの集合体である。81年の本作品は元ポップグループやslips flying rivers、PIEL、アスファルト、アズワド、ルーツラディックスといった面々に加えロバートワイアットまでが参加するという驚異的でありながらもビザールなラインナップであった。

カットアップを多用し、ダブを基調とした本作は、シーンに少なからず動揺もたらした。このNFSを筆頭にON-Uからリリースされるバンドはスタティックな構成からなるものでなく、コアとなるアーティストによって、フレキシブルにメンバーが変化していくユニット的な形態に重きが置かれていた。
アフリカンヘッドチャージやダブシンジケートといったダブユニットしかり、中期以降参加するgrandmasterフラッシュのリズムセクションであったタックヘッドなどヒップホップユニット然りである。その他にもマークスチュワートやリベリといったアーティストの作品など、現在までに50枚以上のアルバムをリリースしているがいずれもユニークで実験的な作品ばかりである。

テクノポップ

テクノポップという呼び名がいつの間にか消えたのは、今やほとんどのポップスが広い意味でのテクノロジーに依存するため、ジャンルとしてことさら区別する必要がなくなったという事実以上に、あのピコピコとしたサウンドが単なる編曲スタイルとして消費され終わったためと考えられる。

ピコピコといった音= bleep音がアナログシンセと共にテクノ系ハウスの重要な要素として復権を果たした今、現代音楽からハウスに至る1連の流れの中でその功績は正当に評価されるべきだろう。
60年代から70年代のミニマルミュージックを、ジョンケージ流の実験主義変化するプロセス自体を目的とする~をロジカルに受け継いだと言えるものならば。ポップの領域でほぼパラレルに起こっていた、プログレッシブロックはその思想よりエモーショナルに展開したと言える。だがだ脱表現主義的な出発点とは裏腹に、ライヒのアンサンブルやDL &Pのライブ演奏に明らかなように、どちらも現実にはある種の名人芸的肉体性に依拠せざる得なかった。

この名人芸的なものを覆したのがパンクでありそこからさらに肉体制をマイナスしてアイロニーを代入したのがテクノポップであった。こう考えると快楽原則に忠実であるがゆえに再び身体性を取り持ちつつあるハウスの方向性とは、テクノポップから戦術的後退といえなくもないだろう。

ネオ・アコースティック

「君の部屋に壁に貼ってあるジョーストラマーの壁がはげ落ちる何とは無しにはったんだけれども。よく考えると僕らが、彼らから得たものってずいぶんたくさんのこと。甘くて苦くて・・・」

今はその網甘さを飲み干してこれは猫のために約10年ぶりに聴き直してみると、当時あれほどまでに共感していたにもかからず、あまりにも曇りのない純粋無垢な指定に鳥肌さえ立つ。
しかしこれは紛れもなく当時の時代性を反映したのである。換言するならば稚拙ではあっても非常に小説的なにおいが濃厚なムーブメントだったと言えよう。
主語を探し、もがいたパンクの反動としての個人回帰。そんな悩みを多き青春ディレッタントバンドが続々とデビューを果たした。

ブルルーベルズ、preferable sprout、オレンジジュース等サウンドは歌詞の脳ギミックに半比例してアレンジだけでなく曲自体のクオリティーが高いため、今聞いても耳新しく新鮮だ。
アズテックカメラが83年にメジャー移籍、Van Halenのジャンプを交わし、ライヴバージョンのエンディングにボーン・イン・ザ・U.S.A.とリフレインした時、ネオ後nネオ・アコースティックは終焉を迎えた。

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