レゲエ

スカやロックステディを始祖とし、R&Bやブルースに影響受け、70年代初頭できればじゃがいもジャマイカに誕生した。

最初こそ、認知は低かったものの代表的グループ、ウェイラーズのアメリカ進出はエリック・クラプトへも少なからずショックを与えるまでになる。特徴的なリズムに乗せてタフな状況を歌い、故国エチオピアへの帰還を旨とするラスタファリズムを信奉する。その後、離脱のリーダー、僕なりのカリスマ性は比類なきものとなり、80年代にはジンバブエの独立記念式典に招待され、演奏。レゲエが第三世界の人々にとっても大きな福音だった証である。

ウェイラーズのエンターテイメントに止まらない活動や逆にリゾートミュージックとしての性格を色濃く出したサードワールドの成功などにより、レゲエの人気も飛躍的に増大した。
最も敏感に反応したイギリスではジャマイカ移民2世たちが70年代中盤から、過酷な状況をレゲエのヴァイブに託し、アズバードやスティールパルスのグループが結成された。

また多くのパンクバンドも積極的にレゲエを取り込み、顕在化し始めたレイシズムや欧州核配備といったリアルポリテックスに対しブリティッシュレゲエバンドとともに異議を申し立てだ。
政治的先鋭化の一方、レゲエのバラード的解釈とも言えるラヴァーズ・ロックの人気を博し、ジャマイカではフレディマクレガーや、グレゴリーアイザックス、イギリスではマキシプリーストらの人気化急騰した。
81年にボブマリーががんに倒れ、巨星の落ちたレゲエであったが、バリエーションは逆に増加していく。80年には最強のリズムチームスライ&ロビーを従えた異形のコーラストリオ、ブラックウフルーが登場。
ソリッドな演奏に狂気をはらみつも抑制の効いたボーカリゼーションは異性を放った異彩を放った。その後シーンはDJへとシフトしていく。
できれば誕生時よりケタ外れの帝王を再生する巨大なPAを仕込んだサウンドシステムが不可分であったが、DJたちは極端に喋り歌を挿入し、さらにrecorded trackではなくオリジナルに喋りを被せ始め、Dancehallスタイルが生まれた。後はで与太郎話や社会指標加える。このスタイルは70年代後半、ユーロいの成功きっかけにジャマイカ中を席巻した。

そしてラガマフィンとともにそうされるようになり、ラヴァーズ系のシュガーマイノット、死んだ犬のフランキーポールなどが登場。中でもイエローマンは世界的知名度を得るまでになる。liveインriddimイノベーションも始まり、スライ&ロビーがシンセドラムを導入、さらにデジタライズされたスレイスレンテンはシーン二台大転換をもたらし、steely &クリービーナノリリムチームの活躍はめざましい物となった。カシオトーンなど非常にしそうな機材から打ち出される高いDTMのチープなリズムが革命的な変革を起こしたところが面白い。MCも下ネタのアドミラルベイリーや暴力ネタのニンジャマン等、個性派が揃う中、91年にシャバ・ランクスの初のメジャー契約をきっかけとしてレッドフォックス、タイガーらが次々とメジャーへ移籍した。その裏にはブギダウン・プロダクションやブラン・ニュー・ヘヴィーズなどの作品にラガマフィンの参加が見受けられるようにヒップホップやアシッドジャズ、ハウスとのクロスオーバーという要素が生まれています。最近では英国で在英インディアン達によるバングラ・マフィンも登場した。ウェイラーズ登場から3ディケイド、異常な流動性の渦中にあるレゲエだが、今後もストリート・ミュージックの重要な鍵になるに違いない。

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